リック・ストーリー
リック・"ザ・ホラー"・ストーリー(Rick "The Horror" Story、1984年8月28日 - )は、アメリカ合衆国の男性総合格闘家。ワシントン州タコマ出身。MMAラボ所属。 来歴ワシントン州のタコマに生まれる。3歳のころ両親が離婚し、7歳までは母親と姉と共に暮らしていたが、祖父の死をきっかけにスパナウェイで祖母と暮らすようになった。5年生の時にアメリカンフットボールと野球を始め、中学ではさらにレスリングも始めた。高校入学後は陸上の棒高跳びで校内記録を作る活躍を見せる。高校卒業後はパシフィックルーテラン大学に進学、フットボールとレスリングを続けた。その後レスリングチームの廃部に伴い南オレゴン大学に移る。当時のストーリーは学費のために国家警備隊に所属していた。4年時にはレスリングで32勝7敗の成績を収め、国内2位となった。リックは同時期に通っていた国家警備隊幹部候補生学校を修了し、2006年11月に士官としての資格を得た。また南オレゴン大学を卒業した(主専攻は健康教育学、副専攻は軍事学)[3]。プロになって以後も士官職に就いている[1]。 総合格闘技リックが最初に総合格闘技に興味を持ったのは少年時代のときであり、「(12歳のときに)初めてUFCビデオを見て、それに魅せられた」と語っている[4]。大学2年生の2004年に練習を始め[1]、パット・ホワイトがトレーナーを務めるブレイブハート・ファイト・クラブ(現ブレイブ・リージョン)に通い、マイク・ピアースらとトレーニングを積んだ。プロ転向以前はアマチュア5戦5勝の戦績を収めた。2007年秋にプロに転向すると、1年間で7勝2敗の成績を残した。 UFC2009年にUFCと契約。最初はUFC 94に出場予定であったカロ・パリジャンが欠場した際の代役であった(最終的にパリジャンは出場)[5]。初戦となったUFC 99(6月13日)でのジョン・ハザウェイ戦は判定負けを喫するものの[6]、2戦目となった9月19日のUFC 103でのブライアン・フォスター戦では2ラウンドに肩固めで一本勝ちを収め、UFC初勝利を飾った[7]。リックは同大会のファイト・オブ・ザ・ザ・ナイトとサブミッション・オブ・ザ・ナイトを受賞したほか[8]、この試合は2009年のUFCベストバウトの第7位にランクインした。 2010年は1月11日にUFC Fight Night: Maynard vs. Diazでジェシー・レノックスに[9]、4月10日にはUFC 112でニック・オシピチェックに[10]それぞれ判定勝ちを収めた。その後8月7日のUFC 117ではダスティン・ヘイズレットにTKO勝ちを収め、UFCでの連勝を4に伸ばした[11]。12月4日、TUF 12 Finaleでジョニー・ヘンドリックスに判定勝ちを収め、2010年はUFC戦績を4戦4勝とした[12]。 2011年、5月28日のUFC 130においてチャンピオンシップ経験者のチアゴ・アウベスと対戦、3-0の判定で勝利を収めた。その1か月後のUFC Live: Kongo vs. Barryでは欠場したアンソニー・ジョンソンに替わってネイサン・マーコートとの対戦が決定していたが、マーコートの欠場が直前に決定し、緊急の代役チャーリー・ブレネマンとの対戦となった[13]。試合は1、2ラウンドにブレネマンにトップキープを許し、3ラウンドにマウントを奪うなど追い上げを見せるも三者28-29のスコアで判定負けとなった[14]。 2014年10月4日、UFC Fight Night: Nelson vs. Storyでウェルター級ランキング12位のグンナー・ネルソンと対戦し、5R2-1で判定勝利。 2015年9月、首に人工椎間板を入れる手術を受けた。 2016年5月29日、UFC Fight Night: Almeida vs. Garbrandtでウェルター級ランキング10位のタレック・サフィジーヌと対戦し、3-0で判定勝利。 2016年8月20日、UFC 202でウェルター級ランキング14位のドナルド・セラーニと対戦し、TKO負け。 引退PFLで2勝1敗の戦績を残し、2018年11月8日に総合格闘技からの引退を発表した。 戦績
獲得タイトル
表彰
脚注出典
関連項目外部リンク |
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