ラリー・サットン
ラリー・ジェームズ・サットン(Larry James Sutton, 1970年5月14日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州ウェストコビーナ出身の元プロ野球選手(外野手)、野球指導者。 経歴プロ入りとロイヤルズ時代1992年のMLBドラフトでカンザスシティ・ロイヤルズから21巡目(全体582位)で指名され入団[1]。 1994年、A+級ウィルミントン・ブルーロックスで129試合に出場。打率.306、26本塁打、94打点の好成績を残し、カロライナリーグのMVPに選出された。またチームはリーグ優勝を果たした[2]。 1997年にメジャー初昇格。1998年には自己最多の111試合に出場し、打率.245、5本塁打、42打点の成績を残した[1]。 1999年は43試合に出場、打率.225、2本塁打、15打点の成績の終わり、この年限りでロイヤルズを退団した[1]。 ロイヤルズ退団後2000年から2001年まではセントルイス・カージナルス、2002年はオークランド・アスレチックス、2004年はフロリダ・マーリンズでプレーした。 メジャー通算成績は、252試合出場、572打数135安打、打率.236、12本塁打、78打点、4盗塁。 韓国球界時代2005年にKBOリーグの現代ユニコーンズと契約。この年は129試合に出場して、打率.293、35本塁打、102打点の成績を残し、本塁打王と打点王を獲得した。またOPS(1.003)はその年のKBOリーグでトップとなり、ゴールデングラブ賞を受賞した。 ところが、翌2006年は開幕前に一緒に自主トレーニングを行ったアルバート・プホルスの打撃フォームを参考にしたことで不振に陥り、成績が急落。93試合で打率.266、18本塁打、61打点に終わり、シーズン終了後に解雇された。 2007年は起亜タイガースと契約。しかし故障のためわずか34試合の出場にとどまり、シーズン途中の5月に解雇されそのまま現役を引退した。 現役引退後2012年にドミニカン・サマーリーグのドミニカン・サマーリーグ・パイレーツ2で監督を務めた。2014年からはパイレーツのマイナー巡回打撃コーディネーターを務める傍ら[3]、ドミニカ共和国アカデミーの責任者を務めた[4]。 2019年にカンザスシティ・ロイヤルズ傘下A+級ウィルミントン・ブルーロックスの打撃コーチに就任した[5]。 2019年10月、KBOリーグ・ロッテ・ジャイアンツの二軍監督に就任[3]。 2021年5月11日、チームの成績不振で解任された許文會の後任として、一軍監督に就任した[6]。 しかし目立った成績を残せないまま2023年8月28日、健康上の問題を理由に監督を辞任した[7]。 通算成績年度別打撃成績
タイトル・表彰
背番号
脚注
関連項目外部リンク |
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