ライアン・レイバーン
ライアン・ニール・レイバーン(Ryan Neil Raburn, 1981年4月17日 - )は、アメリカ合衆国・フロリダ州タンパ出身の元プロ野球選手(主に外野手)。右投右打。 兄のジョニーも元プロ野球選手で、ミルウォーキー・ブルワーズの傘下やタンパベイ・デビルレイズの傘下でプレーした[2]。 経歴プロ入り前1999年のMLBドラフト18巡目(全体535位)でタンパベイ・デビルレイズから指名されたが、契約には至らなかった。 プロ入りとタイガース時代2001年のMLBドラフト5巡目(全体147位)でデトロイト・タイガースから指名され、6月20日に契約。 2004年9月12日のミネソタ・ツインズ戦でメジャーデビュー。 2005年と2006年はAAA級トレド・マッドヘンズで過ごした。 2007年にメジャー再昇格。 2009年には113試合の出場で打率.291・16本塁打・OPS.891を記録。 2010年は前半戦は打率.208と不振に陥るが、マグリオ・オルドニェスの離脱などで出場機会が増えた後半戦は、打率.315・13本塁打・41打点を記録し、トータルでは2年連続で打率.280・15本塁打・OPS.800をクリアした。同年オフに年俸調停権を取得し、タイガースと2年340万ドルで契約を延長した[3]。 2011年は、前年同様に開幕から打率が上がらず、前半終了時点では.214だった。9月に月間打率.384をマークするなど、後半戦は巻き返したが、トータルの成績は過去2年よりもダウンした。前半戦は主に左翼手として出場していたが、デルモン・ヤングの加入後は、二塁手での出場が多くなった。 2012年は66試合に出場するが、打率.171・1本塁打・12打点・1盗塁と結果を残せず、11月20日に自由契約となった。 インディアンス時代2013年1月21日にクリーブランド・インディアンスとマイナー契約を結んだ[4]。3月31日にインディアンスとメジャー契約を結び[5]、開幕ロースター入りした。 開幕後は主に外野手として起用され、8月7日にはインディアンスと総額485万ドルの2年契約(2016年・300万ドルの球団オプション付き)に合意した[6][7]。8月28日に15日間の故障者リスト入りしたが、9月2日に復帰した。この年は87試合に出場し、打率.272・16本塁打・55打点だった。 2014年は内外野の控えとしてプレーし、74試合に出場した。打撃面では不振に陥り、打率.200・4本塁打・22打点という成績に終わり、アベレージとパワーの両スタッツで成績が悪かった。 2015年6月17日のシカゴ・カブス戦で、自身2度目の登板をした[8]。この年は打棒が復活し、82試合の出場で打率.301・8本塁打・29打点・OPS0.936という好成績を残した。特に得点圏では、本塁打こそなかったものの、シーズン打率より高い.313とよく打ち、19打点を叩き出した[9]。守備面では、投手を除けば左翼手と右翼手を守ったが、両方でDRS - 5に終わった。オフの11月4日にFAとなった[10]。 ロッキーズ時代2016年3月4日、コロラド・ロッキーズとマイナー契約を結び、同年のスプリングトレーニングに合流した[11]。3月28日にロッキーズとメジャー契約を結び、アクティブ・ロースター入りした[1]。この年は113試合に出場して打率.220・9本塁打・30打点の成績を残した。オフの11月3日にFAとなった[10]。 ホワイトソックス傘下時代2017年2月19日にシンシナティ・レッズとマイナー契約を結んで同年のスプリングトレーニングに招待選手として参加することになった[10]が、3月27日に自由契約となった[12]。 その後、4月8日にシカゴ・ホワイトソックスとマイナー契約を結び、傘下のAAA級シャーロット・ナイツへ配属された[13]。 ナショナルズ時代2017年5月28日にトレードで、ワシントン・ナショナルズへ移籍し、傘下AAA級シラキュース・チーフスへ配属された。6月5日にメジャー契約を結んでアクティブ・ロースター入りした[10]。 詳細情報年度別打撃成績
年度別投手成績
背番号
脚注
関連項目外部リンク
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