モウブレー男爵
モウブレー男爵(英語: Baron Mowbray)は、イングランド貴族の男爵位。ロジャー・ド・モウブレーが1283年に議会招集令状によって叙されたのに始まる。女系継承でモウブレー家からハワード家、さらにストートン家へと移った。2021年現在はセグレイヴ男爵位・ストートン男爵位とともにジェイムズ・ストートンが保有している。 歴史ロジャー・ド・モウブレーは、1283年6月28日の議会招集令状によってモウブレー男爵(Baron Mowbray)に叙せられた[1]。議会召集令状による爵位であるため、男子がなく女子のみある場合に姉妹間に優劣がない女系継承が可能である(姉妹があるときには保持者不在(abeyance)状態となる)。 1368年に5代モウブレー男爵位を継承したジョン・モウブレー(1365–1379)(1377年に初代ノッティンガム伯に叙される)は、1375年に母から議会召集令状によるイングランド貴族爵位セグレイヴ男爵(Baron Segrave)を継承しており、この時以来モウブレー男爵位とセグレイヴ男爵位は継承者を同じくしている。その後、モウブレー家はノーフォーク公爵位に叙されたため、モウブレー男爵位はその従属爵位の一つとなった[1]。 1481年にモウブレー家が絶えるとモウブレー男爵位は一時的に保持者不在(abeyance)となったが、1484年の貴族院の決定でモウブレー家の女系子孫で新規にノーフォーク公爵位を与えられていたジョン・ハワード(1420–1485)が継承者に確定した。しかし彼はボズワースの戦いでリチャード3世に付いてリチャード3世とともに戦死したため、モウブレー男爵を含めたすべての爵位が剥奪された[1][2]。 その玄孫にあたる4代ノーフォーク公トマス・ハワード(1538–1572)はノーフォーク公襲爵前の1553年にモウブレー男爵とセグレイブ男爵を回復したが、大逆罪で処刑されたため、全爵位をはく奪された[3]。その孫であるトマス・ハワード(1585–1646)は、1604年4月18日にアランデル伯爵とサリー伯爵、モウブレー男爵、セグレイブ男爵を回復した[4]。その息子ヘンリー・フレデリック・ハワード(1608–1652)は1640年に「モウブレー卿」として貴族院に召集されているが、1877年の貴族院はこれを1283年のモウブレー男爵と見做したが、新規の創設と見做す見解もある[1][5]。その曽孫にあたる9代ノーフォーク公エドワード・ハワード(1686–1777)の死去に際して、モウブレー男爵位は彼の弟フィリップ・ハワードの娘に女系継承されることになり、男系男子に限定されるノーフォーク公爵位と分離した。しかしフィリップの娘は二人あったことから優劣を決められず、結局モウブレー男爵位は保持者不在となる[1]。 その後1世紀にわたって保持者不在状態が続いたが、1878年6月の貴族院の決定でフィリップ・ハワードの女系子孫である第20代ストートン男爵アルフレッド・ストートン(1829–1893)が継承者に確定し、保持者不在は解除された[1]。以来モウブレー男爵・セグレイヴ男爵・ストートン男爵の3爵位は彼の男系子孫によって継承され続けている。2021年現在の当主は第28代モウブレー男爵ジェイムズ・ストートン(1991年-)である[1][6]。 現当主の保有爵位現在の当主ジェームズ・ストートンは以下の爵位を保有している[1][6]。
モウブレー男爵 (1283年)
家系図モウブレー男爵家
脚注注釈出典
関連項目 |
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