ミハイル・ヴァイマン
ミハイル・イズライレヴィチ・ヴァイマン[1](ロシア語: Михаи́л Изра́илевич Ва́йман、ラテン文字表記の例:Mikhail Izrailevich Vaiman, 1926年12月3日 - 1977年12月16日)は、ソビエト連邦のヴァイオリニスト、音楽教師。レニングラード音楽院教授(1966年)。ロシア連邦共和国功労芸術家(1957年授与)。 概要現在のウクライナ、ムィコラーイウ州ノーヴィイ・ブフに生まれ、レニングラード音楽院でユーリー・エイドリン(ロシア語: Юлий Ильич Эйдлин、1896年 - 1958年)にヴァイオリンを学ぶ。1943年3月にタシュケントで催された「若い演奏家による音楽院創設80周年記念演奏会」に参加している[2]。1945年より演奏活動に入り、1950年にライプツィヒで開催された第1回ヨハン・ゼバスティアン・バッハ国際コンクールのヴァイオリン部門、翌1951年にブリュッセルで開催されたエリザベート王妃国際音楽コンクールに参加し、いずれも第2位という好成績を挙げる。独奏者として活躍するとともに、ピアノのパーヴェル・セレブリャーコフ、チェロのムスティスラフ・ロストロポーヴィチとトリオを組んで室内楽奏者としても活発に活動した[3]。 1949年より母校レニングラード音楽院で教え始め、1966年に教授に昇格、1970年からは主任となっている。門弟には、トーマス・ザンデルリング、潮田益子、前橋汀子、ジノーヴィー・ヴィンニコフ、フィリップ・ヒルシュホルン、アレクサンドル・カントロフ、ミハイル・ガントヴァルク、セルゲイ・スタドレルらがいる。 1977年にレニングラードで没した。 主な受賞と栄誉
主な録音メロディアへの録音がCD6枚組みセットで同レーベルより復刻された他、放送録音などが残る。
脚注
外部リンク(兼・参考文献)参考文献
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