ヴァイオリンソナタ第7番 (ベートーヴェン)ヴァイオリンソナタ第7番(ヴァイオリンソナタだいななばん)ハ短調 作品30-2 は、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンが作曲したヴァイオリンソナタ。 概要前後に連なる第6番や第8番とともに、1802年頃に作曲されたと推定されるヴァイオリンソナタである。出版は1803年。第6番、第8番とともにロシア皇帝アレクサンドル1世に献呈されており、この経緯から3曲とも通称「アレキサンダー・ソナタ」とも呼ばれている。 作曲推定年である1802年は、10月に「ハイリゲンシュタットの遺書」が認められるなど、ベートーヴェンにとってはある意味で追い込まれた年ではあったが、その一方で「英雄」の作曲が始められるなど、いわゆる初期から中期への転換に差し掛かる時期でもあった。第7番は前作第6番のイ長調、後作第8番のト長調のような明朗な調とは違い、厳しい調であるハ短調で書かれている。この「作品30」の3曲から、ベートーヴェンのヴァイオリンソナタはモーツァルトの影響を脱し、独自の境地を築くこととなる。 曲の構成全4楽章、演奏時間は約26分。
エピソード前述のように、「作品30」の3曲はアレクサンドル1世に献呈されている。当時の習慣として、王侯貴族や大富豪に曲を献呈すると、相当な額の謝礼金が期待できた。ベートーヴェン自身も、チェロソナタ第1番および第2番(作品5)をプロイセン国王フリードリヒ・ヴィルヘルム2世に献呈した際、半年の生活費に相当する謝礼金を貰ったことがあった。しかし、「作品30」の3曲をアレクサンドル1世に献呈したものの、謝礼金については一切音沙汰がなかった。年は下ってウィーン会議の頃、ベートーヴェンは友人の医師の勧めで、ウィーン会議出席のためウィーン滞在中だったアレクサンドル1世の皇后にポロネーズ(ハ長調 作品89)を献呈したが、その際「皇帝に献呈した、いつぞやのヴァイオリンソナタの謝礼金がまだ来てない云々」といった内容の手紙もつけていたと言われている。その効果かどうかは不明ながら、皇后からポロネーズの分の謝礼金に加え、「作品30」の3曲の分の謝礼金も受け取ることができたと言われている。 参考文献
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