マーク・セント・ジョン
マーク・セント・ジョン(Mark St John、本名マーク・レズリー・ノートン Mark Leslie Norton、1956年2月7日 - 2007年4月5日)は、アメリカのロック・ギタリスト。キッスの3代目リードギタリスト、ホワイト・タイガーのリーダーとして有名。アメリカ合衆国カリフォルニア州ハリウッド出身。 経歴キッス加入前はセッション・プレイヤーやギター家庭教師をしていた。 ジーン・シモンズ、ポール・スタンレーとの意見の相違、協調性のなさを理由に、キッスが2代目リードギタリストのヴィニー・ヴィンセントを解雇した際、スタンレーが知り合いを辿ってマークを発掘、1984年に急遽後任として加入。同年にアルバム『アニマライズ(ANIMALIZE)』でプレイするも、ツアー直前のリハーサル中に関節炎によって腕が腫れ上がってしまい、ギターを弾くことが困難となる。 代役は、後に4代目リードギタリストとなるブルース・キューリックが務め、マークはアルバムと3公演のみの参加に止まり、同年12月8日付でブルースと交代する形で脱退する(この日は、ライブビデオ『アニマライズ・ライブ(ANIMALIZE LIVE UNCENSORED)』の撮影日でもあった)。 マークが参加したライブは公式に録音及び撮影もされておらず、彼の動いている姿はアニマライズ収録曲の「ヘヴンズ・オン・ファイアー(HEAVEN'S ON FIRE)」のPVと、DVD『キッソロジー(KISSOLOGY)』シリーズの2巻でのマーク加入当時の紹介映像で確認できる以外に残っていない。 彼は後[いつ?]のインタビュー[要出典]で、ジーン・シモンズとポール・スタンレーへの批判を交えて「キッス内部での扱いは酷く、居心地が悪かった」と回顧している。なお、参加した『アニマライズ』では作詞作曲面に一切参加しておらず、既に完成していたメロディに彼が弾くギター音を被せた程度だった。マークはレコーディングするために雇われたメンバーと言っても良く、更にギャラも低かったため非常に不満だったという。 キッス脱退後の1986年、実弟のマイケル・ノートン、元ブラック・サバスにごく短期間参加していたヴォーカリストのデイビッド・ドナートとヘヴィメタルバンドホワイト・タイガーを結成。しかし、アルバム1枚で解散。 1988年にジェフ・スコット・ソートとデモを作成、1990年にはキッスの初代ドラマーだったピーター・クリスとバンドを組むが、採用するレコード会社が現れず、やがて両者の関係の悪化により解散。 その後はギター・インストラクターとして活動するかたわら、インディーズでCDをリリースしたり、2001年にキッスのファンによりシカゴで開催されたイベントにエリック・シンガー、ブルース・キューリックらと共にゲスト参加するなど地道に活動を続けていたが、2007年4月5日に脳内出血により51歳で死去。日本で毎年開催されているキッス・ミニ・エキスポ(Spacewalk To The Comet主催)の第4回目にゲスト参加を承諾した3日後の出来事だったという。 前述の通り、マーク自身の死によって彼のイベント参加は叶わなかったが、このイベントはマークの追悼会がメインとなり、実弟のマイケルやキッスのソロ・プロジェクト関連の人物らが参加した。 外部リンク
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