マンハッタン無宿
『マンハッタン無宿』(マンハッタンむしゅく 原題:Coogan's Bluff)は、ドン・シーゲルが監督・製作した1968年のアメリカ合衆国の犯罪スリラーアクション映画。 概要『ダーティハリー』のドン・シーゲルとクリント・イーストウッドが初めてコンビを組んだ作品。 本作の設定はのちにテレビドラマ『警部マクロード』に転用された(同じハーマン・ミラーが脚本を担当)[3]。 映画のタイトルは、ニューヨーク市の自然のランドマークであるクーガンズ・ブラフに由来。 あらすじアリゾナ州の保安官助手を務めるクーガンは、強引な捜査手法で同僚から避けられる一匹狼的な存在だった。上司のマクリー保安官は厄介払いを兼ねて、クーガンをニューヨークに派遣し、凶悪犯リンガーマンの身柄を引き取ってくるように命令する。クーガンは早速ニューヨーク市警を訪れるが、責任者のマッケルロイ警部補から「リンガーマンは精神病院に入院中で、釈放の手続きが済むまで待っていろ」と追い返されてしまう。クーガンは市警で出会った女性犯罪人専門の保護官ジュリーと交際しながら時間を潰すが、手続きに時間がかかっていることに苛立ち、精神病院から強引にリンガーマンを連れ出してしまう。しかし、クーガンは空港に到着した途端、リンガーマンの情婦リニーと彼女の仲間に襲われ、リンガーマンに逃げられてしまう。 責任を感じたクーガンは単独で捜査を始め、リンガーマンの母親のアパートを訪れ尋問するが、その帰りに市警の捜査官たちに連行されてしまう。クーガンはマッケルロイから「捜査権のないニューヨークでの捜査を止めろ」と警告され、さらに彼から連絡を受けたマクリーが帰還命令を出したため、クーガンはニューヨークを離れざるを得なくなった。クーガンはジュリーのアパートに向かい、彼女の目を盗んでリニーの情報を手に入れ彼女の元に向かう。リニーの案内でリンガーマンの居場所に向かうが、そこにはリンガーマンはおらず、クーガンは彼の仲間たちに襲われる。警官が駆け付けたためクーガンは現場を離れて宿泊先に戻るが、リニーから話を聞いたジュリーが現れ口論になる。 クーガンは再びリニーのアパートに乗り込み、彼女を脅してリンガーマンの元に案内させる。リンガーマンはバイクに乗り込み逃亡し、クーガンも通行人のバイクを借りて追跡を始める。追跡の末にリンガーマンを取り押さえるが、そこにマッケルロイが警官を引き連れて現れる。クーガンからリンガーマンを引き取ったマッケルロイは、彼の違法捜査を不問にし、「引き渡しの手続きをするから、今度こそ大人しく待っていて欲しい」と伝え、クーガンもそれを受け入れる。手続きが終わりリンガーマンを引き取ったクーガンは、見送りに来たマッケルロイとジュリーと別れを交わしてニューヨークを去っていく。 キャスト
音楽Lalo Schifrin Coogan's Bluff, film score [8] 製作ユニバーサル映画は、それまで反目していたクリント・イーストウッドに本作への出演を依頼し、100万ドルの出演料を提示して和解を求めた[9][10]。出演交渉はドン・シーゲルの元エージェントだったジェニングス・ラングが担当し、ラングはイーストウッドの自宅で、彼がシーゲルと会談する手配を整えた。イーストウッドはシーゲルの初期の映画作品を3本観て、彼の実力に感銘を受け、これ以降二人は友人となり緊密なパートナーとなった[11]。 映画のアイディアは、1967年にテレビドラマとして企画され、『ローハイド』の脚本家ハーマン・ミラーとジャック・レアードが脚本を担当した[12]。イーストウッドが出演を承諾した後、ハワード・ロッドマンを加えた三人の脚本家は、ロケハンのためにニューヨークとモハーヴェ砂漠を訪れた[11]。しかし、イーストウッドは製作会議に突然現れ、ミラーが書いた脚本に難色を示した[11]。イーストウッドとシーゲルは、シーゲルと仕事をした経験があるディーン・リーズナーを新しく脚本家として迎え入れた。イーストウッドはリーズナーとはコミュニケーションをとっていなかったが、リーズナーがクーガンとリニーが性行為をするシーンを批判して以降は意思の疎通を図るようになり[13] 、リーズナーはイーストウッドの意見を脚本に取り入れるようになった。主要キャストにはドン・ストラウド、リー・J・コッブ、スーザン・クラーク、ティシャ・スターリングが起用され、撮影は1967年11月から開始された[13]。 ソフトでの差異本作はDVDの発売以降、理由は不明だが、一部シーン(約3分)のカット編集が行われたものが全世界でリリースされている。そのため、クーガンが事務所でリンガーマンの身柄をニューヨークから引き取るよう出張命令を受けるシーン、病院での短いシーン、そしてジュリーがニューヨーク近くの海を見渡せる展望台で話す場面がDVD以降はカットされている。なお、DVD以前のソフトにはこれらの編集がなく、ノーカットでリリースされていた[14]。 注釈脚注
参考文献
外部リンク |
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