マルクス・アエミリウス・レピドゥス (紀元前285年の執政官)
マルクス・アエミリウス・レピドゥス(ラテン語: Marcus Aemilius Lepidus、生没年不明)は紀元前3世紀初頭の共和政ローマの政治家。紀元前285年に執政官(コンスル)を務めた。 出自パトリキ(貴族)であるアエミリウス氏族の出身であり、レピドゥスのコグノーメン(第三名、家族名)を名乗ったのはマルクスが最初である。この後、アエミリウス・レピドゥス家は帝政初期にいたるまで繁栄し、共和政時代だけでも11人の執政官を出す。カピトリヌスのファスティのこの部分は欠落しているため、父および祖父のプラエノーメン(第一名、個人名)は不明であり、マルクスと他のアエミリウス氏族の人物との関係は不明である[1]。紀元前232年と紀元前220年に執政官を務めたマルクス・アエミリウス・レピドゥスは孫と思われる。 経歴紀元前286年、ポティトゥスは執政官に就任。同僚執政官はガイウス・クラウディウス・カニナであった[2]。ティトゥス・リウィウスの『ローマ建国史』のこの部分は本文が欠落しており、要約にもポティトゥスのことは触れられていない[3]。ディオニュシオスの『ローマ古代誌』、ディオドロスの『歴史叢書』といった主要な歴史書もこの年代は断片しか残っておらず、業績は不明である。 脚注参考資料
関連項目
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