マイケル・エッシェン
マイケル・エッシェン(Michael Kojo Essien, 1982年12月3日 - )は、ガーナ出身の元プロサッカー選手。元同国代表。ポジションはミッドフィールダー。愛称はバイソン(野牛)。スペルの関係上ファーストネーム、ファミリーネーム共に様々な呼び方があるが、イングリッシュコメンタリーはこの選手を呼ぶ時に「エシエン」(エシアンとも)と呼んでいる。2006年ドイツW杯アフリカ予選で活躍し、ガーナの本大会初出場および本大会ベスト16進出に貢献した。 経歴17歳の時にマンチェスター・ユナイテッドFCのトライアルを受け合格しているが、A代表出場試合数が規定に足りず、断念した。 その後SCバスティアに入団し、当初は両サイドバックや、センターバックを務めた。 2003-04シーズンに、パリ・サンジェルマンFCとの争奪戦の末にオリンピック・リヨンへ移籍。運動量を活かすためにボランチへコンバートされたこともあり一気にブレイク。リヨンの快進撃の中心を担い、04-05シーズンには、リーグ・アン最優秀選手に選出された。 この活躍に目を付けたチェルシーFCに、3800万ユーロ(約51億円)という破格で移籍した。その際、両クラブが衝突し移籍交渉が1か月にも及ぶことになり、またエッシェン自身がリヨンでの出場や練習参加を拒んだり、チェルシー移籍願望などの発言により物議を醸すが、最終的には念願の移籍を果たした。当時、3800万ユーロはフランスのクラブに支払われた額としては最高額であった(リヨンの年間支出額の1/3とも言われている)。その後、チェルシーではレギュラーとして活躍する。モウリーニョ前監督からは「ジョン・テリーやディディエ・ドログバと並び、代えの利かない選手」と賞賛されている。2008-09シーズンにはCL準決勝での活躍によりチェルシー・ゴールオブザイヤーを受賞した。 2012年8月31日、出場機会を求め、恩師ジョゼ・モウリーニョ率いるレアル・マドリードにレンタル移籍する[1]。 2013年6月、当季限りでレアル・マドリードから離れることを明言する。モウリーニョと共にチェルシーに復帰したが、出場機会に恵まれず、2014年1月24日、ACミランへの1年半の移籍が合意した[2]。 2016年の夏にパナシナイコスを退団し、2017年3月14日にインドネシア・スーパーリーグのプルシブ・バンドンへ正式に移籍、1年の契約を結んだ。 2020年9月、選手兼コーチとしてデンマークリーグのノアシェランに加入する。試合に出場することなく現役を引退し、現在はアシスタントコーチを務める。 人物・エピソード
代表歴出場大会試合数
タイトル
脚注
外部リンク
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