ボトルメールボトルメール(英: message in a bottle)とは、瓶に封じて海や川などに流された手紙のこと。 リクルートが開発したソフトウェア名がきっかけで“ボトルメール”という表現は日本ではそれなりに使われているが、英語ではそうした表現の頻度は少なく、 message in a bottle と表現するほうが一般的であり、さまざまな作品名にも用いられている。(メッセージ・イン・ア・ボトルおよびen:Message in a bottle (disambiguation)も参照のこと。) イタリア語でも英語と類似した「messaggio in bottiglia」といった表現が好まれるが、フランス語では「bouteille à la mer」(「海中の瓶」といったような表現)のほうが好まれる。 日本語では「瓶詰めの手紙」や「瓶入りの手紙」または「漂流ビン」などと表現することが多いが、特に定まった表現は無い。 歴史ボトルメッセージについては紀元前310年のギリシャの哲学者テオプラストスによる水流の研究まで遡る[2]。また西暦1177年ごろの日本の平家物語巻二には、卒塔婆流の段があり、親への元気の便りと望郷の思いを詩にした句や名などを記した卒塔婆を海に流した記述がある。 16世紀、イングランドとアイルランドの女王エリザベス1世は、「Uncorker of Ocean Bottles(オーシャンボトルのコルク栓を抜く者)」という役職を創設し、それ以外の者が中を見た場合は機密(スパイの情報や艦隊の情報)に触れる可能性があるから死刑となる事があると宣言した[3][4]。 19世紀には、エドガー・アラン・ポーの「MS. Found in a Bottle」(1833年出版)やチャールズ・ディケンズの「A Message from the Sea」(1860年出版)などの文学作品によってボトルメッセージがブームになった[5]。 瓶詰めの手紙の事例「ボトルメール」の最も古い記録として以下のような物語が紹介されることがある( Robert Kraskeの "The Twelve Million Dollar Note: Strange but True Tales of Messages Found in Seagoing Bottles" (1977) による[6])が[7]、真偽は不明である[8]。
1876年以降、スコットランドの離島セント・キルダの人々は容器に手紙を入れて流しコミュニケーションをとるということを行っていたという[9]。 1914年、第一次世界大戦のさなか、イギリスの兵士 Thomas Hughesは妻に宛てた手紙を緑色のボトルにつめてイギリスの海峡で投げ込んだ。彼は2日後、フランスにおける戦いのさなかに死亡した。1999年、漁師のSteve Gowanがテムズ川でそれを拾い上げた。(宛先の女性はすでに1979年に亡くなっていたが)その手紙は1999年、ニュージーランドに住んでいる、女性の娘に届けられた、というニュースが流れた[10]。 1984年7月、千葉県立銚子高校が海流調査のために450本、翌年に300本を流し、2021年9月までに52本が発見された[11]。発見場所はワシントン州、カナダ、フィリピン、マーシャル諸島、ハワイなどである[11]。 現代の日本では、子供たちに夢を与える等の目的で実際に手紙入りのボトルを海に流すイベントが開催されることがある。このようなときに流される手紙には、誰かに送達されたことの確認を求めるために返信先が書かれていることが多い。 ギネス世界記録ギネス世界記録に登録されている、回収された事のある最古のボトルメールは、1914年6月10日に海に流され、2012年4月に発見された手紙である[12]。これは、グラスゴー航海学校が流した合計1890本の瓶のうちの315本目に回収された瓶であり、「646B」という番号が振られている[12]。北海の深層海流を調査する目的で放流されたものであり、海底付近を流れるように特別な錘が付けられている[12]。これによって瓶は、浜辺に打ち上げられるかトロール船の底引き網で回収される仕組みとなっている[12]。瓶はアンドリュー・リーパーの船コーピアス号によって、放流地点からわずか約15kmのシェトランド諸島近海で網によって引き上げられた[12]。 2014年に公表された事例では、1913年、ドイツのバルト海に投げ入れられたボトルメールが101年目にあたる2014年3月に海底から回収され、送り主の孫娘が特定されている[13]。また、2015年4月の事例では1906年に投げ入れられたボトルメールが108年目に回収された[14][15][16]。 2018年に公表された事例では、1886年にインド洋上でドイツの小型帆船「パウラ号」から流されたと思われるボトルメールがオーストラリアのウェッジ島近くの砂丘で発見された(132年目の回収)[17]。 ボトルメールを主題とした作品フィクションに目を向けると、 アガサ・クリスティの小説『そして誰もいなくなった』(1939)では、犯人が海に投げた瓶詰の告白文から真相が明らかになる。1998年には米国のニコラス・スパークスがメッセージ・イン・ア・ボトルというタイトルの小説(ラブストーリー)を書き、翌1999年には同国で映画化された(「メッセージ・イン・ア・ボトル (映画)」)。 日本の小説では夢野久作の『瓶詰の地獄』(1928)に登場する。 日本の漫画では、無人島で救出を求める人物とともに描写されることが多い(『パーマン』第20話「ウレッシャー号みつけた」では、座礁した潜水艦の魚雷発射管から「艦内酸素は残り24時間、この手紙が最後の頼り、至急救助求む」の文面で射出されている)。 類似の事例
関連するソフトウェアやサービスリクルートがシェアウェアとしてリリースした電子メールクライアントがある。詳細はボトルメール (ソフトウェア)を参照。 任天堂のニンテンドーDS用ゲームソフト『おいでよ どうぶつの森』ではボトルを流した者同士ですれちがい通信を行うことにより、ボトルが交換される形で互いの森の海岸に流れ着くというボトルメール的な機能があるが、作品中では本来の英語表現に近い「メッセージボトル」という呼称が機能名として使用されている。 ソニー・コンピュータエンタテインメントのPSP用ゲームソフト『福福の島』では、同様の機能に対して「ボトルメール」の呼称をそのまま使用している。 日本銀行券の紙幣追跡サイト「MESSAGE IN A BILL」では、このボトルメールの発想をとりいれ、追跡手段となる記番号の登録と同時にメッセージを登録することができるサービスが展開されている。 脚注出典
参考文献
関連項目
外部リンク
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