ホナウド・ジャカレイ
ホナウド・ジャカレイ(Ronaldo Jacaré、1979年12月7日 - )は、ブラジルの男性柔術家、総合格闘家。エスピリトサント州ヴィラ・ヴェーリャ出身。ブラック・ハウス所属。元Strikeforce世界ミドル級王者。ジャカレ・ソウザとも表記される アグレッシブな闘いをし、勝利後には自身のニックネームでもある「ジャカレ」(ポルトガル語で鰐の意味)の動きを真似たパフォーマンスを行なう。このニックネームは、住み込みで練習していた道場のシンボルが鰐だったことに由来する。 来歴貧困なカフーゾ家庭に育ち、15歳の時に親友が射殺されるのを目撃する。この事がきっかけとなり、母親はジャカレイをマナウスに住む兄のもとに移住させた。17歳の頃ブラジリアン柔術と柔道を始めると、ジムに住み込み柔術の練習に明け暮れ、直ぐに州のチャンピオンとなった。 2001年、ブラジリアン柔術の世界大会『ムンジアル』の紫帯メジオ級と無差別級で初優勝。2002年、茶帯でメイオペサード級と無差別級を制する。2003年、『ムンジアル』と合わせて茶帯のメイオペサード級と無差別級で優勝、四冠を達成。 2003年、アブダビコンバットにも参戦、男子88kg未満級で準優勝。2005年には同階級で優勝を果たし、また無差別級でも準優勝となった。 2003年9月13日、Jungle Fight 1で総合格闘技デビュー。ジョルジ・パチーユ・マカコにパンチでKO負け。 2003年11月1日、日本で開催されたプロ柔術「DESAFIO」のメインイベントで佐藤博信と対戦し、三角絞めで一本勝ち[1]。 2004年、『コパドムンド』でメイオペサード級、無差別級を制する。ムンジアル無差別級ではホジャー・グレイシー相手に肘を脱臼させられながらもタップせずにポイントで勝利、決勝に進出していたメイオペザード級の決勝は棄権となるものの三冠を達成。 2005年、『ムンジアル』のメイオペザード級、無差別級で優勝、2001年から5年連続優勝を果たした。これはブラジリアン柔術初の快挙である。 2006年4月29日、総合格闘技3戦目となったJungle Fight 6でアレキサンダー・シュレメンコに肩固めで一本勝ち。 2006年11月17日、プログラップリング大会のX-MISSIONにおいてランディ・クートゥアと対戦し、本戦4分2R・延長1分2Rで決着がつかず、引き分けた。 2007年1月から2月にかけて、チーム・クロコップにおいてトレーニングを行った。 DREAM2008年4月29日、DREAM.2のミドル級グランプリ1回戦でイアン・マーフィーと対戦し、裸絞めで1R一本勝ち。6月15日、DREAM.4の2回戦でジェイソン・"メイヘム"・ミラーと対戦し、ポジショニングで上回り3-0の判定勝ち。 2008年9月23日、DREAM.6のミドル級グランプリ準決勝でゼルグ・"弁慶"・ガレシックに腕ひしぎ十字固めで1R一本勝ち。決勝ではゲガール・ムサシと対戦し、序盤にテイクダウンを奪いグラウンドへ持ち込んだものの、パウンドを放とうとした際に下からの顔面への蹴り上げで1RTKO負け。惜しくも準優勝となった。 2009年5月26日、DREAM.9で行なわれたDREAMミドル級王座決定戦でジェイソン・"メイヘム"・ミラーと再戦。反則であるサッカーボールキックを受け頭部をカットしてしまい、ノーコンテストで王座獲得に失敗した。 2009年9月26日、アブダビコンバット2009のスーパーファイトでロバート・ドリスデールと対戦し、ポイント2-0で勝利した[2]。 Strikeforce2009年12月19日、Strikeforce初参戦となったStrikeforce: Evolutionでマット・リンドランドと対戦し、肩固めで1R一本勝ちを収めた[3]。 2010年5月15日、Strikeforce: Heavy Artilleryにてジョーイ・ヴィラセニョールと対戦。再三ヴィラセニョールをテイクダウンし、グラウンド&パウンドで封じ込めて、3-0の判定勝ち[4]。 Strikeforce世界王座獲得2010年8月21日、Strikeforce: HoustonのStrikeforceミドル級王座決定戦でティム・ケネディと対戦し、3-0の5R判定勝ちを収め王座獲得に成功した[5]。 2011年1月29日、Strikeforce: Diaz vs. CyborgのStrikeforce世界ミドル級タイトルマッチでロビー・ローラーと対戦し、リアネイキドチョークで3R一本勝ちを収め、王座の初防衛に成功した[6]。 Strikeforce王座陥落2011年9月10日、Strikeforce: Barnett vs. Kharitonovでルーク・ロックホールドとミドル級タイトルマッチで対戦。パンチを何度もヒットさせたものの、ロックホールドの多彩な蹴り技に終始苦戦を強いられ、0-3の5R判定負け。王座から陥落した[7]。 2012年8月18日、Strikeforce: Rousey vs. Kaufmanでデレク・ブランソンと対戦し、右フックでダウンを奪い、パウンドで開始41秒のKO勝ち。 UFC2013年5月18日、UFC初参戦となったUFC on FX 8でクリス・カモージーと対戦し、肩固めで1R一本勝ち。サブミッション・オブ・ザ・ナイトを受賞した。 2013年9月4日、UFC Fight Night: Teixeira vs. Baderでミドル級ランキング3位の岡見勇信と対戦し、右ストレートでダウンを奪い、パウンドで1RTKO勝ち。 2014年2月15日、UFC Fight Night: Machida vs. Mousasiでミドル級ランキング8位のフランシス・カーモンと対戦し、3-0の判定勝ち。 2014年9月5日、UFC Fight Night: Jacare vs. Mousasiでミドル級ランキング7位のゲガール・ムサシと再戦し、ギロチンチョークで3R一本勝ち。約6年越しのリベンジを果たし、パフォーマンス・オブ・ザ・ナイトを受賞した。 2015年2月28日、UFC 184でヨエル・ロメロと試合が組まれていたがジャカレイが肺炎になり欠場[8]。4月18日のUFC on FOX 15で再び試合が組まれるもロメロが足の靭帯と半月板を損傷して欠場。ジャカレイは代役のクリス・カモージーと対戦して腕ひしぎ十字固めで1R一本勝ち。同年12月12日、UFC 194でミドル級ランキング3位のヨエル・ロメロと改めて対戦し、1-2の判定負け。 2016年5月14日、UFC 198でミドル級ランキング3位のビクトー・ベウフォートと対戦し、マウントパンチで1RTKO勝ち。パフォーマンス・オブ・ザ・ナイトを受賞した。 2017年2月11日、UFC 208でミドル級ランキング13位のティム・ボッシュと対戦しキムラロックで1R一本勝ち。パフォーマンス・オブ・ザ・ナイトを受賞した。 2017年4月15日、UFC on FOX 24でミドル級ランキング6位のロバート・ウィテカーと対戦し、2Rに右ハイキックでぐらつき、下になったところにパウンドとエルボーを受け続けてTKO負け。 2018年1月27日、UFC on FOX 27でミドル級ランキング8位のデレク・ブランソンと5年5カ月ぶりに再戦し、右ハイキックでダウンを奪い、パウンドで1RTKO勝ち。パフォーマンス・オブ・ザ・ナイトを受賞した。 2018年5月12日、UFC 224でミドル級ランキング5位のケルヴィン・ガステラムと対戦。1Rはグラウンドで優位に試合を進めるも、その後はスタンドでダウンを奪われるなど盛り返され、1-2の判定負け。敗れはしたものの、ファィト・オブ・ザ・ナイトを受賞した。 2018年11月3日、UFC 230でミドル級ランキング3位のクリス・ワイドマンと対戦。序盤から打撃戦で一進一退の攻防を繰り広げ、3Rに右フックでダウンを奪い、パウンドでKO勝ち。2試合連続のファイト・オブ・ザ・ナイトを受賞した。 2019年4月27日、UFC Fight Night: Jacaré vs. Hermanssonでヨエル・ロメロと試合が組まれていたがロメロが病気で欠場したことで、代役のミドル級ランキング10位ジャック・ハーマンソンと対戦し、得意なグラウンドで圧倒されて、0-3の5R判定負け。 2019年11月16日、ライトヘビー級転向初戦となったUFC Fight Night: Błachowicz vs. Jacaréでライトヘビー級ランキング6位のヤン・ブラホヴィッチと対戦し、両者共に手数の少ない攻防となり、1-2の判定負けを喫した。ジャカレイの母国ブラジルでの開催となったが、盛り上がりに欠ける試合内容となったため、試合後には会場からブーイングが沸き起こった。 2020年12月12日、UFC 256でミドル級ランキング15位のケビン・ホランドと対戦。グラウンド状態での下からの右フックでダウンを奪われ、パウンドで1RKO負け。 2021年5月15日、UFC 262でアンドレ・ムニスと対戦し、1Rに腕ひしぎ逆十字固めでキャリア初となる一本負け。 2021年5月19日、UFCからリリースされた[9]。 2021年8月11日、総合格闘技からの引退を発表[10]。 人物・エピソード
戦績総合格闘技
プロボクシング
グラップリング
獲得タイトル
表彰
脚注
関連項目外部リンク
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