ベスバラ伯爵
ベスバラ伯爵(英: Earl of Bessborough)は、アイルランド貴族の伯爵位。アイルランドの政治家第2代ダンキャノン子爵ブラバゾン・ポンソンビーが1739年に叙されたのに始まる。 歴史![]() アイルランド王国議会庶民院の議員を務めたウィリアム・ポンソンビー(1659–1724)は、1721年9月11日にアイルランド貴族爵位キルケニー県におけるベスバラのベスバラ男爵(Baron Bessborough, of Bessborough in the County of Kilkenny)に叙され、ついで1723年2月28日にはアイルランド貴族爵位ウェックスフォード県におけるダンキャノン砦のダンキャノン子爵(Viscount Duncannon, of the Fort of Duncannon in the County of Wexford)に叙せられた[1][2]。 その長男である2代ダンキャノン子爵ブラバゾン・ポンソンビー(1679–1758)も襲爵前にアイルランド庶民院の議員を務め、1739年10月6日にはアイルランド貴族爵位ベスバラ伯爵(Earl of Bessborough)に叙せられた。その後もアイルランド歳入長官(Commissioner of the Revenue)、アイルランド海軍長官(Marshal of the Admiralty)、アイルランド総督代理等を務め、1749年6月12日にはグレートブリテン貴族爵位におけるシソンビーのポンソンビー男爵(Baron Ponsonby, of Sysonby in the County of Leicester)に叙せられ、グレートブリテン王国議会貴族院議員にも列している[3][4]。 その長男である2代ベスバラ伯ウィリアム・ポンソンビー(1704–1793)も襲爵前にアイルランド庶民院とグレートブリテン庶民院の両方でホイッグ党所属の庶民院議員を務め、アイルランド担当大臣(在職1741-1744)、郵政長官(在職1759-1762、1765-1766)を務めた[5][4]。 その孫である4代ベスバラ伯ジョン・ポンソンビー(1781–1847)も襲爵前にホイッグ党の庶民院議員を務め、ホイッグ党政権において森林長官(在職1831-1834、1835-1841)、内務大臣(在職1834)、王璽尚書(在職1835-1840)、アイルランド総督(在職1846-1847)などの閣僚職を歴任した。いまだ襲爵前の1834年7月19日には連合王国貴族爵位キルケニー県におけるベスバラのベスバラのダンキャノン男爵(Baron Duncannon of Bessborough, of Bessborough in the County of Kilkenny)に新規に叙されて貴族院議員に列している[6][4]。 その長男である5代ベスバラ伯ジョン・ポンソンビー(1809–1880)は、自由党政権下で王室家政長官(在職1866、1868-1874)を務めた[7][4]。 5代伯には子供がなかったため、5代伯の死後には弟フレデリック・ポンソンビー(1815–1895)が6代伯を継承した。6代伯にも子供がなかったので6代伯の死後は弟ウォルター・ポンソンビーが7代伯を継承した。以降7代伯の子孫によって継承されていく[8][4]。 その孫である9代伯ヴィアー・ポンソンビー(1880–1956)は、襲爵前に保守党の庶民院議員を務め、襲爵後の1931年から1935年にかけてはカナダ総督を務めた。総督退任後の1937年6月2日に連合王国貴族爵位ベスバラ伯爵(Earl of Bessborough)に叙されている[9][4]。 しかしその長男である10代伯フレデリック・ポンソンビー(1913–1993)には男子がなく、10代伯の死去とともに連合王国貴族爵位のベスバラ伯爵位は廃絶した[10][4]。 10代伯の死後、8代伯エドワード・ポンソンビー(1851–1920)に遡っての分流であるアーサー・ポンソンビー(1912–2002)が11代伯を継承した。現在の当主はその長男である12代伯マイルズ・ポンソンビー(1941-)である[4]。 一族の本邸はハンプシャーのローランズ・キャッスルにあるスタンステッド・ハウスである[4]。家訓は「王と法と民のため(Pro Rege, Lege, Grege)」[4]。 現当主の保有爵位現当主マイルズ・ポンソンビーは以下の爵位を保有している[4][11]。
一覧ベスバラ男爵 (1721年)
ダンキャノン子爵 (1723年)
ベスバラ伯 (1739年)
系図ベスバラ伯爵ポンソンビー家系図
出典
関連項目
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