ヴィアー・ポンソンビー (第9代ベスバラ伯爵)
第9代ベスバラ伯爵ヴィアー・ブラバゾン・ポンソンビー(英: Vere Brabazon Ponsonby, 9th Earl of Bessborough、1880年10月27日 - 1956年3月10日)は、イギリスの貴族・政治家。 経歴1880年10月27日に後に第8代ベスバラ伯爵を継承するエドワード・ポンソンビーとその妻ブランシェ(初代準男爵ジョン・ジョサイア・ゲストの娘)の間の息子として生まれる[3][4]。 ハーロー校を経てケンブリッジ大学トリニティ・カレッジへ進学[3]。 1910年にはチェルトナム選挙区から選出されて保守党の庶民院議員を務める。1913年から1920年にかけてはドーヴァー選挙区から選出されて保守党の庶民院議員を務める[3][4]。1920年12月1日に死去した父から爵位を継承し、貴族院議員に転じる[2]。 1931年に枢密顧問官(PC)に列せられるとともに、同年から1935年にかけてカナダ総督を務めた。前任者と同様に世界大恐慌に苦しむカナダ各地を歴訪した[5]。1932年には初となるカナダ全土の電話システムを発足させた[5]。同年庶民院に帝国経済会議(Imperial Economic Conference in the House of Commons)を創設した[5]。新たなウェランド運河を開いたり、カナダ国立研究機関(National Research Council of Canada)の新しいビルを建設したりもした[5]。また日本の皇族高松宮宣仁親王、タイ国王ラーマ7世とその后ラムパイパンニー、本国政治家ウィンストン・チャーチル、オーストラリアの探検家ヒューバート・ウィルキンズなど各国の著名人を総督官邸に招いた[5]。 1937年6月2日に連合王国貴族爵位のベスバラ伯爵に叙された[4][3]。 1956年3月10日に死去。爵位は長男フレデリック・ポンソンビーが継承した[4][3]。 栄典爵位1920年12月1日の父エドワード・ポンソンビーの死去により以下の爵位を継承した[4][3]。
1937年6月2日に以下の爵位を新規に叙される[4][3]。
勲章
家族1912年にロバーテ・ド・ニューフリーズと結婚し、彼女との間に以下の4子を儲けた[3][4]
出典
参考文献
外部リンク
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