ジョン・ハミルトン=ゴードン (初代アバディーン=テメイア侯爵)
初代アバディーン=テメイア侯爵、ジョン・ハミルトン=ゴードン(英: John Hamilton-Gordon, 1st Marquess of Aberdeen and Temair, KT, GCMG, GCVO, PC、1847年8月3日 – 1934年3月7日)は、イギリスの政治家、貴族。 経歴1847年8月3日、第5代アバディーン伯爵ジョージ・ハミルトン=ゴードンの三男として生まれる。兄に第6代アバディーン伯爵ジョージ・ハミルトン=ゴードンがいる[3]。 1870年1月27日に兄から第7代アバディーン伯爵以下5つの爵位を継承し[4]、貴族院議員に列する。 オックスフォード大学ユニバーシティ・カレッジへ進学。1871年にバチェラー・オブ・アーツ(BA)、1875年にマスター・オブ・アーツ(MA)の学位を取得[4]。 1880年にアバディーンシャー統監に就任[4]。1881年から1885年にかけてスコットランド教会総会への勅使を務めた[4]。1886年2月から8月にかけてはアイルランド総督を務めた[4]。 1893年9月からカナダ総督に就任[1][5]。カナダ全国を広く旅行し、先住民ともよく会見した[5]。総督官邸リドー・ホールでの演劇公演をしばしば観劇した[5]。1893年にはリドー・ホールにチャペルを建設した(1912年に撤去)[5]。ヴィクトリア女王のダイヤモンドジュビリーの際にはカナダで様々な催し物を実施した[5]。カナダ海軍の艦隊の視察もよく行った[5]。海外自治領との貿易・連携の強化にも尽力した[5]。1898年11月に第4代ミントー伯爵ギルバート・エリオット=マーレイ=キニンマウンドに後を託して退任した[1]。 1905年から1915年にかけてアイルランド総督に再任した[5]。 1916年1月4日に「カウンティ・オブ・アバディーン、カウンティ・オブ・メース、カウンティ・オブ・アーガイルにおけるアバディーン=テメイア侯爵(Marquess of Aberdeen and Temair, in the County of Aberdeen, in the County of Meath and in the County of Argyll)」と「カウンティ・オブ・アバディーンのハッドー伯爵(Earl of Haddo, in the County of Aberdeen)」に叙せられた[4]。 栄典爵位・準男爵位
勲章
家族初代トウィードマス男爵ダドリー・マージョリーバンクスの娘イザベルと結婚し、彼女との間に以下の5子を儲ける。
注釈出典
参考文献
外部リンク
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