ブライト健太
ブライト 健太(ブライト けんた、本名:アドゥ ブライト 健太[3]、英: Kenta Bright Ado、1999年5月7日 - )は、東京都足立区出身[1]のプロ野球選手(外野手)。右投右打。中日ドラゴンズ所属。 経歴プロ入り前ガーナ人の父と日本人の母の間に生まれる[4]。 足立区立弘道第一小学校では柔道をしていたが、6年生のときに軟式野球を始める[1]。中学時代は、足立区立第十一中学校野球部と並行し軟式野球チームの「シニアクラーク」に所属[1]。 東京都立葛飾野高等学校へ進学し、一塁手のレギュラーに定着。高校時代の甲子園出場はなく、最高成績は東東京大会2回戦。3年春は大会直前に右足首靱帯を損傷したものの、日本大学第三高等学校戦ではベンチ入りし、コールド負け直前に代打として左足だけで内野安打を放った[5]。3年夏は初戦(2回戦)で立正大学付属立正高等学校に敗れた[6]。 高校卒業後、上武大学に進学。1学年上に古川裕大、佐藤蓮がいた[7]。3年秋までは控えだったが、4年春のリーグ戦から外野手のレギュラーに定着。打率.383、3本塁打、12打点の成績を記録し、MVPを受賞した[4][1]。2021年6月に行われた全日本大学野球選手権大会では2本塁打を記録し、チームのベスト4進出に貢献した[8][1]。2021年9月24日、プロ志望届を提出[9]。 2021年10月11日のドラフト会議にて、中日ドラゴンズから単独1位指名を受ける。同年12月7日、契約金1億円、年俸1600万円で契約合意した[10]。担当スカウトは正津英志[11]。背番号は42[12]。これは、自身が憧れるジャッキー・ロビンソンの背番号にちなむ[13]。 中日時代2022年は、春季キャンプ中の2月に左手首の違和感、3月に右肩痛、4月に左足の肉離れを起こすなど故障が相次ぐ[14][15][16]。一軍出場はなく、二軍では46試合の出場で打率.211、3本塁打、10打点の成績だった[17]。8月1日、鵜飼航丞の代替選手として「野球伝来150年 プロアマ記念試合」のU23NPB選抜に選出された[18]。11月20日、200万円減となる推定年俸1400万円で契約更改した[17]。 2023年は、2月の二軍キャンプにおける練習試合で2試合連続2本塁打を放つなどして[19]自身初となる開幕一軍を手にする[20]。4月27日の広島戦(マツダ)でプロ初安打を放つも[21]、5月1日に登録抹消[22]。5月27日に一軍に再合流すると[23]、5月30日の福岡ソフトバンクホークス戦(PayPayドーム)でプロ初打点を挙げる[24]。7月開催のフレッシュオールスターゲームへ出場予定だったが、左手骨挫傷で辞退[25]。9月に再度復帰し[26]、最終的に一軍で33試合に出場し打率.241、4打点の成績を残す。オフとなる11月19日、50万円減の年俸1350万円で契約更改した(金額は推定)[27]。 2024年、8月24日の読売ジャイアンツ戦(東京ドーム)において、7回に代打で登場すると、井上温大からプロ初本塁打を記録した[28]。 選手としての特徴50m走5.8秒という俊足に加え、遠投100mの強肩、高校通算38本塁打のパンチ力を兼ね備えた大型選手[29]。 人物NPB登録名は「ブライト 健太」であるが、本名は名前の最初に英語で「騒ぎ」を意味する「アドゥ」がついており[3]、ドラフト指名時点では「アドゥ ブライト 健太」と表記されていた[30]。
高校進学の際に地元から離れた野球の強豪校を選ばず、都立高校に進学した。その理由を「地元と仲間が好きで、足立区から出るという考えにならなかったこと」および「肩を痛めていたこと」とし、「当時は野球をやめることも考えており、特待生の話を断っていた」と明かしている[1]。 ドラフト1巡目指名されたアフリカ系選手としては、2015年のオコエ瑠偉に次ぐ史上2人目となり、セ・リーグでは初。 2023年12月18日、大学4年から交際していた高校の同級生と同年6月5日に結婚していたことを発表した[32]。 詳細情報年度別打撃成績
年度別守備成績
記録
背番号
代表歴
脚注
関連項目外部リンク
|