フライング・キティ・バンド
『フライング・キティ・バンド』(Flying Kitty Band)は、1977年に小椋佳・星勝・安田裕美を中心として当時のキティレコードの有志で結成されたロックバンドである。プロデューサーは多賀英典である。 概要「シクラメンのかほり」、「俺たちの旅」、「揺れるまなざし」と立て続けにヒットを飛ばしていた小椋は、自分の歌唱力に限界を感じ(どんな歌を歌っても単調になると悩んでいた)、その打開策を模索して本バンドを結成した。 小椋は銀行マンであり忙しい身だったため、サウンドに関してはスタッフに任せることが多かったらしい[独自研究?]。そのため小椋のレコード作りはキティのサウンド実験室と呼ばれていた[誰に?]。 プロデューサーの多賀は、「クラシカルサウンド」から「よりドラマチックな新しいサウンド」を求め、『残された憧憬』以後の小椋のアルバム作りに星を起用した。サウンド的にはロック色を濃くしていく。当初、星は小椋のアレンジに参加することを嫌がった(ロックしていない[要追加記述]ため)が、やっているうちにのめり込み、自ら最高傑作と言わしめたアルバムが『残された- 』である。『残された- 』、『夢追い人』、『道草』、『遠ざかる風景』、本バンドのアルバム『5・4・3・2・1・0』の「中期小椋」のサウンドは、ほとんどが星のプロデュースである。星は、小椋の作品ではサウンド的に好き勝手にやらせてもらっていたらしい[独自研究?]。多賀社長に「小椋佳と星勝はサウンド的に切っても切れない関係」と言わしめた。 アルバム『5・4・3- 』は、ロサンゼルスで録音された[1]。当時小椋が三度目の銀行の研修で渡米したことにかこつけてスタッフが押し寄せた。ロスではAttitudes(デヴィッド・フォスター、ジム・ケルトナーら)、ジェイ・グレイドン、トム・スコット、デイヴィッド・T・ウォーカー、ジョン・ゲリンの布陣を敷く。日本勢は、正木五郎(ドラムス)、高水健司(ベース)、 深町純(キーボード)、 渋井博(キーボード)、中西康晴(キーボード)、高中正義(ギター)、椎名和夫(ギター)、浜口茂外也(パーカッション)、安田裕美(AG[要出典])。また、売れなかったころの来生たかおが本格的に参加し、サウンドに多様性を持たせた[2]。ボーカルは小椋、星、安田である。モップス時代を彷彿させる星のボーカルが復活した。 『5・4・3- 』は、「宇宙に旅立つことを夢見る少年」を主人公にしたコンセプトアルバムを目指した。当初、三部作の予定であったが未完のままとなった。 アルバム『5・4・3・2・1・0』
脚注 |
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