フェアフィールド郡 (サウスカロライナ州)
フェアフィールド郡(英: Fairfield County)は、アメリカ合衆国サウスカロライナ州の中央部北に位置する郡である。2010年国勢調査での人口は23,956人であり、2000年の23,454人から2.3%増加した[1]。郡庁所在地はウィンズボロ市(人口3,550人[2])であり、同郡で人口最大の都市でもある。 歴史18世紀1780年から1781年、イギリス軍がこの地域を占領していたときに、チャールズ・コーンウォリス将軍が「ここの野原(フィールド)はなんと素晴らしいのだ(フェア)」と言ったことから、郡名が付けられたとされている。占領中にコーンウォリス将軍が使っていた家は今も残っている[3]。 アメリカ独立戦争の数年前、バージニアのリチャード・ウィンが後にフェアフィールド郡となった地域に入ってきた。その土地は現在のウィンズボロ市がある場所であり、1777年には既にウィンズボロと呼ばれていた(英語の綴りは異なる)。 この村が区画に分けられ、1785年にはリチャード・ウィン、ジョン・ウィン、ジョン・バンダーホーストの請願により勅許された。ジョンとリチャードおよびマイナー・ウィンはすべて独立戦争に従軍した。リチャードは将軍であり、サウスカロライナの如何なる愛国者よりも多くの戦闘に参加したと言われている。 フェアフィールド郡には多くの教会があり、その幾つかは200年以上の歴史がある。最も有名なのは1788年に建設されたオールド・ブリック教会であり[4]、そこで1803年にアソシエート改革派長老派教会カロライナ支部が結成された。オールド・ブリック教会の壁に書き付けられた文章は、北軍兵がウィリアム・シャーマン将軍の軍隊のために、教会の床板を近くの川を渡す橋を造るために持ち出したことを後悔しているというものである。 18世紀半ばの初期開拓者は綿花栽培をもたらし、それが1920年代に土地の疲弊とワタミゾウムシ被害が広がって綿花栽培が止まるまで、主要作物であり続けた。 19世紀1832年12月、ウィンズボロが町として法人化され、監督官と警官によって統治された。 フェアフィールド郡で最も著名な建築物はウィンズボロ市にある時計台である[5]。サウスカロライナ州議会はウィンズボロ市のマーケットハウスを建設した者達に、両側を30フィート (9 m) の荷車が通れるよう30フィートの幅を超えないことと指定した。この細長い建物はフィラデルフィア市のインデペンデンスホールを模したものであり、アヒル池の側に建てられた。1837年に時計が追加され、その時から時計台と呼ばれてきた。 郡庁舎は時計台の通り向かいにあり、1823年に遡る。サウスカロライナの建築家ロバート・ミルズが設計し、現在では18世紀半ばからの記録を収めている。 郡内に御影石があったことで、初期に石切場が発展した。「交易の絹」と呼ばれるウィンズボロの青御影石は世界中の建物や記念碑に使われている。 20世紀郡内には1960年代にカロライナズ・バージニア管型原子炉が建設され、1984年からはバージル・C・サマー原子力発電所がある。郡は1975年からフェアフィールド郡空港を所有し運営している[6]。 見どころ郡内のウィンズボロ市にはサウスカロライナ鉄道博物館があり[7]、またサムター国立の森のエノリー・レンジャー地区の一部がある[8][9]。数多い鹿や野生のシチメンチョウがおり、狩猟者を引きよせている。またウォータリー湖州立レクリエーション地域もある。 地理アメリカ合衆国国勢調査局に拠れば、郡域全面積は710平方マイル (1,838.9 km2)であり、このうち陸地687平方マイル (1,779.3 km2)、水域は23平方マイル (59.6 km2)で水域率は3.29%である[10]。 隣接する郡
人口動態
都市と町
脚注
外部リンク
|
Portal di Ensiklopedia Dunia