フィンチリー・セントラル駅

フィンチリー・セントラル駅
Finchley Central tube station
フィンチリー・セントラル駅の位置(グレーター・ロンドン内)
フィンチリー・セントラル駅
フィンチリー・セントラル駅
グレーター・ロンドンの地図上でのフィンチリー・セントラル駅の位置
所在地 フィンチリー
行政区 バーネット・ロンドン特別区英語版
運営 ロンドン地下鉄
路線 ノーザン線
駅構造 地上駅
ホーム数 2面3線
バリアフリー 対応 [1]
ゾーン 4
地下鉄年間乗降員数
2010 増加 5.31百万人[2]
2011 増加 5.49百万人[2]
2012 増加 5.51百万人[2]
2013 減少 5.33百万人[2]
鉄道会社
開設時の所属会社 エッジウェア・ハイゲート・アンド・ロンドン鉄道
グループ化 グレート・ノーザン鉄道
グループ化 ロンドン・アンド・ノース・イースタン鉄道
歴史
1867年8月22日 (1867-08-22) フィンチリー・アンド・ヘンドンとして開業
1872年2月1日 (1872-02-01) フィンチリーに改名
1894年2月1日 (1894-02-01) フィンチリー(チャーチ・エンド)に改名
1940年4月1日 (1940-04-01) フィンチリー・セントラルに改名
1940年4月14日 (1940-04-14) ノーザン線乗入開始
1941年3月3日 (1941-03-03) LNERの運行廃止
1962年10月1日 (1962-10-01) 貨物営業廃止[3]
WGS84 北緯51度36分04秒 西経0度11分33秒 / 北緯51.6011度 西経0.1924度 / 51.6011; -0.1924座標: 北緯51度36分04秒 西経0度11分33秒 / 北緯51.6011度 西経0.1924度 / 51.6011; -0.1924
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フィンチリー・セントラル駅(フィンチリー・セントラルえき、英語:Finchley Central tube station)はロンドン北部英語版バーネット・ロンドン特別区英語版チャーチ・エンド地区英語版フィンチリーにあるロンドン地下鉄の駅である。当駅はノーザン線ハイ・バーネット支線ウェスト・フィンチリー駅イースト・フィンチリー駅の間にあり、当駅からはミル・ヒル・イースト駅への支線が分岐している。当駅はトラベルカード・ゾーン4英語版[4]に含まれる。

歴史

当駅はエッジウェア・ハイゲート・アンド・ロンドン鉄道(英語:Edgware, Highgate and London Railway、EH&LR)によって建設され、EH&LRを引き継いだグレート・ノーザン鉄道により1867年8月22日、ミドルセックス英語版に「フィンチリー・アンド・ヘンドン」として開業した[5][6]。当駅はフィンズベリー・パーク英語版からハイゲート英語版経由でエッジウェア英語版に至る路線上の途中駅として開業しており、1872年4月1日には当駅からハイ・バーネット駅までの支線が開業している[6]。駅名は何回も変更されており、1872年2月1日に「フィンチリー」、1894年2月1日に「フィンチリー(チャーチ・エンド)」、1940年4月1日に現在の「フィンチリー・セントラル」となっている。

1921年鉄道法によりイギリスの鉄道会社は「ビッグ・フォー」と呼ばれる4社に再編され、当駅は1923年からロンドン・アンド・ノース・イースタン鉄道(英語:London and North Eastern Railway、LNER)の駅となった。イースト・フィンチリーから分岐するハイ・バーネット支線は1930年代に始まった「ノーザン・ハイト」と呼ばれる開発計画の一環としてロンドン地下鉄の路線網に組み込まれ、1940年4月14日に電化が完成、ロンドン地下鉄ノーザン線列車の乗り入れが始まった[7]。電化完成からしばらくの間はロンドン地下鉄とロンドン・ノース・イースタン鉄道双方の列車が運転されていたが、ロンドン・ノース・イースタン鉄道による運転は1941年に終了している[6]。ノーザン線の列車は沿線にあった兵営への輸送のため、1941年5月18日からミル・ヒル・イーストまで運転されるようになった[7]

チャールズ・ホールデン英語版レジナルド・ユーレン英語版設計によって駅舎が改築されることになっていたが、第二次世界大戦勃発によるノーザン・ハイト計画の縮小により中止され、エッジウェア・ハイゲート・アンド・ロンドン鉄道が建設したヴィクトリア様式の建物群が残された[8]

隣のミル・ヒル・イースト駅と共に、当駅にはエッジウェア・ハイゲート・アンド・ロンドン鉄道時代の建築物が多く残っている。ロンドン地下鉄に組み込まれた路線では最も古い区間のひとつで、世界最古のシールドトンネルによる地下鉄であるシティ・アンド・サウス・ロンドン鉄道の後身であるノーザン線のロンドン中心部の区間よりも20年以上古い[note 1]

フィンチリー・セントラル駅3番線、南行ホームに入線するノーザン線の1995形電車
駅南側の出入口

レイアウト

当駅には2つの出入口があり、駅舎を備える側に北からアクセスする道には長く名前がなかったが、2006年11月13日にバーネットの姉妹都市にちなんでシャヴィルフランス語版・ウェイと名付けられている。シャヴィル・ウェイはバラーズ・レーンがリージェンツ・パーク・ロードと名前を変える地点から分岐しており、シャヴィル・ウェイもこの交差点を挟んでネザー・ストリートに名前を変える。もうひとつの出入口は駅南のステーション・ロードにある。

2つの出入口はこ線橋で結ばれ、ホームには階段と、2008年夏に完成したエレベーターで降りることが出来る。当駅には出入口が二つあるが、北側の駅舎にしか改札口はなく、南側の出入口にはオイスター・カードの入退場記録装置が備えられている。

当駅は2面3線の配線で、一番北側の3番線は南行列車が発着する相対式ホーム、北行列車が発着する1番線と2番線は島式ホームで、1番線には主にミル・ヒル・イーストへの支線の列車が、2番線には主にハイ・バーネット行の列車が発着する。

当駅は1930年代にハリー・ベック英語版が考案した現在の各地の地下鉄地図の元となったロンドン地下鉄路線図に表されており、記念の銘板が南行きホームに1933年製作のベックの地図の複製と共に飾られている。

バス路線

ロンドンバス82、125、143、326、382、460、深夜バスN13、N20が当駅を経由する[9]

脚注

注釈

  1. ^ シティ・アンド・サウス・ロンドン鉄道は1890年シティ・オブ・ロンドンキング・ウィリアム・ストリート駅英語版からサザーク英語版ストックウェル駅英語版の間で開業している。

出典

  1. ^ Step free Tube Guide” (PDF). Transport for London. 3 June 2015時点のオリジナルよりアーカイブ9 August 2020閲覧。
  2. ^ a b c d Multi-year station entry-and-exit figures” (XLS). London Underground station passenger usage data. ロンドン交通局 (2014年). 2015年3月31日閲覧。
  3. ^ Hardy, Brian, ed (March 2011). “How it used to be - freight on The Underground 50 years ago”. Underground News (London Underground Railway Society) (591): 175–183. ISSN 0306-8617. 
  4. ^ Standard Tube Map (PDF) (Map). Not to scale. Transport for London. February 2021. 2021年2月22日閲覧
  5. ^ Butt, R.V.J. (1995). The Directory of Railway Stations. Yeovil: Patrick Stephens Ltd. p. 96. ISBN 1-85260-508-1. R508 
  6. ^ a b c Clive's Underground Line Guides - Northern Line, Dates”. 2015年4月27日閲覧。
  7. ^ a b Rose, Douglas (1999). The London Underground, A Diagrammatic History. Douglas Rose/Capital Transport. ISBN 1-85414-219-4 
  8. ^ Gallery Search”. ribapix.com. Royal Institute of British Architects. 2 October 2010閲覧。
  9. ^ Finchley Central Underground Station - Bus”. ロンドン交通局. 2015年4月27日閲覧。

外部リンク

英語版記事の音声を再生 (6)
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この音声ファイルは英語版記事の2007年12月13日 (2007-12-13)版を元に作成されており、以降の記事の編集内容は反映されていません。