ピーター・フランクル
ピーター・フランクル(Péter Frankl, 1953年3月26日 - )は、ハンガリー出身の数学者・大道芸人・タレント。本名はフランクル・ペーテル (ハンガリー語: Frankl Péter [ˈfrɒŋklˌpe̝ːter])。日本名は富蘭 平太(ふらん へいた)。国籍はハンガリーとフランス。ユダヤ系ハンガリー人である。ハンガリー科学アカデミー国外会員。ホリプロ所属。 算数オリンピック委員会専務理事、国際数学オリンピック・日本チームコーチ、東京大学非常勤講師、フランス国立科学研究センター教授。日本ジャグリング協会名誉理事。元早稲田大学理工学部客員教授。 来歴・人物ハンガリーのショモジ県カポシュヴァール生まれ。自身が語る所によれば、18世紀にモラヴィアからハンガリーに移住して同化した家系だと言う。当時の歴史的には、ラビなどがモラヴィアからハンガリーに移住するということはよくあった。この時代のハンガリーとオーストリアでは、マリア・テレジアがバナートへのドイツ人の植民を指導したり、ヨーゼフ2世がユダヤ人のドイツ人との同権化への成功などの出来事が起きている。 両親はナチスの強制収容所体験者で、医師であった父・ヨージェフ(Frankl József [ˈfrɒŋklˌjoːʒɛf]、1908年10月24日 - 1994年1月5日)はホロコースト体験後に無神論者となり、母・ジュジャンナ(Frankl Zsuzsanna [ˈfrɒŋklˌʒuʒɒnnɒ]、1927年 - 2004年10月24日)も同化ユダヤ人(ハンガリー人)の意識が強いが、ピーター自身はユダヤ人意識が非常に強い(但しユダヤ教徒ではなく無神論者である)。そのため、第2次世界大戦でハンガリーに侵攻してきたソ連軍を多くのハンガリー国民が「占領者」と捉えるなか、フランクル自身はユダヤ人にとってソ連は「解放者」であったとしている。また、無神論の思想は両親から引き継いでおり、宗教的に物事を捉える人に対しては批判的である。 幼少の頃から数学に親しんでおり、ハンガリーのブダペストの国立エトヴェシュ・ロラーンド大学理学部で数学の博士号を取得し、数学に関して多くの優れた業績を上げた。エルデーシュ・パール (Erdős Pál [ˈɛrdøːʃˌpɑ̈ːl]) との共著論文が6篇あるエルデシュ数1の所有者である[1]。 数学の博士号を取得後、多くの研究者がしていたように、兵役免除が認められるように様々な努力をしたものの、結局、25歳のときに6か月間、ハンガリー軍に徴兵された。その経験から、兵役に関して「毎日、穴ばかり掘らされていた」などと語ると共に、徴兵制に対する嫌悪感を表明しており[2]、著書において「市民全体で国防のリスクを引受けるべきで、一部の男性にだけ兵役を押し付けるのではなく、核武装して市民社会全体でリスクを引き受ける方が民主的である」と一部の男性にだけ国防の義務を押し付ける徴兵制を批判しつつ、市民全体で国防リスクを背負う核武装を民主的であると肯定的に評価する発言も行っている。なお、日本国憲法では兵役の義務は無いが、日本社会が遅刻に厳しい点、新卒で就職した企業に嫌でもしがみつくしかない終身雇用の負の側面に関連して、「実際、日本人男性は一生涯軍隊に入っているようなものではないのか」[3]と日本社会のあり方を批判している。また一方で、2012年2月に開催された東京都の「教育再生・東京円卓会議」においては、「だらしない人が多くて、そういう人を何とか形にするためには兵役は役に立っている」、「韓国の男性もそれによってかなりしっかりしている人が多い」などと韓国の兵役を例に出した上で、徴兵制に対して部分的に肯定する発言も行っている[4]。 前述の通り、父親がユダヤ人として迫害を受け、全財産を没収されるなどの経験をしたため、彼の父親はピーターに「人間の財産は頭と心の中にあるものだけ」と常に語り聞かせた。こうした父親の影響からか、ピーター自身も「(今の)日本人は若いときにアルバイトや部活に時間を割きすぎ。もっと勉強して自分に価値をつけるべき。その方が将来もっといい条件で働けて、得られるものも多くなる」といった意見を、彼の著書(ピーター流外国語習得術)にて記載している。 この様な価値観から、学力が低いことを恥と感じていない、いわゆる「おバカタレント」がもてはやされている2010年代半ばのテレビ業界の現状に関しては、否定的な見解を示している[要出典]。 20年以上、ホリプロスポーツ文化部(入った当時は文化部)に所属している。 1981年6月から1990年9月にかけて秋山仁と公私ともに親密な交友関係を持ち続けていたが、その後秋山から事実上決別されてしまったという(『僕が日本を選んだ理由—世界青春放浪記2』より)。しかし、2014年1月26日国技館で行われた大相撲初場所千秋楽で仲良く秋山仁と観戦する姿がNHKテレビに映った。 通常日本における活動の名義は片仮名表記の「ピーター・フランクル」だが、大道芸人としては上記の漢字表記の名前を使っている。これは、来日直後に日本の書道家に漢字で「富蘭玖瑠 平太(読みはふらんくる ぺーたー)」と書いてもらったものを気に入り、それを略したものである。また、それ以前にも中国人数学者に「方培徳」(拼音:Fāng Péidé)という当て字を考案してもらったことがある。 使う言語母語のハンガリー語のほか、ドイツ語、ロシア語、スウェーデン語、フランス語、スペイン語、ポーランド語、英語、日本語、中国語、韓国語、タイ語の計12言語を大学で講義ができるレベルまで使いこなすことができ、加えてインドネシア語とチェコ語でも日常会話が可能である(『ピーター流外国語習得術』より)。数学関係のみならず、日本文化や教育、旅行、外国語習得術に関する著書を多く執筆している。 ただ、必ずしもネイティブな発音で話せるわけではなく、それが原因で苦労したこともあるという。本人曰く、「英語は小説や戯曲を読むなどして時間を投入したので自信はあるが、ネイティブな発音でないため、母語として話す人からはあまり相手にされない」とのことである。日本語についても特有の訛りはあるが、「勉強して一番得した」とのことである(『ピーター流わくわく旅行術』より)。反対に、スウェーデン語については使用機会が少ないことに加え、得られたものが少なかったことから「一番勉強しなくてもよかった言語」と述べている。 2010年にはフランス語の能力が買われ、大河ドラマの『龍馬伝』に出演している。 ジャグリング1973年に数学者でアメリカ数学会会長なども務めたロナルド・グラハムと出会ったことをきっかけにジャグリングを始める。グラハムはアクロバットが得意で、ピーターが初めて出会ったときも、逆立ちのまま挨拶し、直接ジャグリングの手ほどきもしてくれた。感激したピーターは「自分もこんな面白い数学者になりたい」と思い、ジャグリングの練習を続けた。1978年にはハンガリーサーカス学校で舞台芸人の国家資格を取得し、大道芸人として技を披露している。東京大学のジャグリングサークル『マラバリスタ』を創設。日本ジャグリング協会の名誉理事も務める[5]。 年譜
主な著書
テレビ出演
その他
脚注
関連項目外部リンク
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