ピエロー・ジュニア
ピエロー・ジュニア(Pierroth Jr.、本名:ノルベルト・サルガド・サルセド(Norberto Salgado Salcedo)、1958年3月10日 - )は、メキシコのプロレスラー(元覆面レスラー)。モレロス州クエルナバカ出身。 来歴EMLL(現在のCMLL)を主戦場にし1988年4月4日にはエル・ハルコン78を破りメキシコナショナルライトヘビー級王座を奪取、一度防衛に失敗したが1990年1月12日に再びモグールを破り同ベルトを奪取[2]。 1990年5月26日にベスティア・サルバヘと組んでアンヘル・アステカ、アトランティスを破りメキシコナショナルタッグ王座を奪取[3]。 1991年9月にCMLLで行われたCMLL世界ライトヘビー級王座決定トーナメントで決勝でジェリー・エストラーダに破れ初代王者にはなれなかったが、1992年3月19日に再挑戦し奪取[4]。 3日後の3月22日にはマサクレ、ハケ・マテの「ロス・イントカブレス」と組んでエル・サタニコ、ピラタ・モルガン、MS1の「ロス・インフェルナレス」を破りCMLL世界トリオ王座を奪取[5]、10月にはWARに日本初来日[6]、1993年1月[7]、1994年1月[8]にも来日した。 1995年2月21日にはCMLLにてラヨ・デ・ハリスコ・ジュニアを破りメキシコナショナルヘビー級王座を奪取[9]。1996年8月9日にはビジャノ3号、ビジャノ4号、ビジャノ5号の「ロス・ビジャノス」と組んでメキシコナショナルアトミコス王座奪取[10]。 1996年にはAAAに移籍、7月にはWWF(現在のWWE)に出場[11]、1997年1月にもWWFに出場し、ロイヤルランブルに参戦した[12]。 1998年7月20日には抗争中だったラ・パルカにコントラ・マッチで破れ素顔を晒す[13]。 その後CMLLに戻ったが、すぐにインディを転戦した。2008年以降、試合に出場しておらず現在はリタイヤ状態と思われる。 近年、「ピエロー」を冠したレスラーが多数現れる。一部はラ・ファミリア・ピエロー(La Familia Pierroth)としてチームで活動している。メンバーにエル・イ・ホ・デル・ピエロー(2007年5月に全日本プロレスに来日したYAMADA)、ピエロー2号(IWRGで活躍するアンチクリスト)、ピエロー・ジュニア(AAAやIWRGで活躍するXフライ)、トロ・ブランコがCMLLで名乗るピエロー。 得意技獲得タイトル
脚注
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