ピアノ協奏曲第4番 (シャルヴェンカ)ピアノ協奏曲第4番 ヘ短調 作品82は、フランツ・クサヴァー・シャルヴェンカが1908年に作曲したピアノ協奏曲。初演は、同年10月31日にベルリンのベートーヴェンザールで行われ、大きな成功を収めた[1]。 概要独学でピアノを学んでいたシャルヴェンカは、ベルリンでテオドール・クラクの音楽院に入学し、クラクにピアノを、リヒャルト・ヴュルストに作曲を師事して才能を開花させた。1869年11月29日にベルリン・ジングアカデミーの演奏会で、メンデルスゾーンの「ピアノ協奏曲第2番」を弾いてステージデビューを果たして以来、シャルヴェンカはピアニストとして、また教育者として華々しいキャリアを築いていた。ピアニストとしての彼は、上体を静止させながらの強靭かつ情熱的な演奏を賞賛されていた[1]。 そのシャルヴェンカが満を持して書き上げた4作目のピアノ協奏曲は、作曲者自身の指揮、彼の弟子のマルタ・シーボルト(Martha Siebold)の独奏で初演された。この演奏会を絶賛したロンドンのミュージカル・タイムズ紙によれば、この演奏会を聴くためにベルリン中のピアノ演奏に関わる人々がほぼ全て集まったという。また、フランツ・リスト門下でシャルヴェンカの支持者であったモーリツ・ローゼンタールは、この曲の情熱的な側面を称賛している。この初演にはアルバニアのヴィルヘルム公と妻のゾフィー妃が臨席していた。演奏を聴いたゾフィー妃は、クララ・シューマンにも教えを受けたことのある音楽好きのエリザベタ王妃に曲を献呈してはどうかと提案し、これに従ったシャルヴェンカによりこの協奏曲は王妃に捧げられた。これにより彼はルーマニア、ブカレストの王宮に招かれて歓待を受け、長く病床にあった王妃に2台ピアノ編曲版でこの協奏曲を披露するなどしている[1]。 シャルヴェンカ自身が独奏者となって初めて曲を披露したのは、1910年11月27日のニューヨーク・フィルハーモニックの演奏会で、指揮はグスタフ・マーラーだった。この演奏会もアメリカの音楽雑誌「Musical Courier」が絶賛するなど大成功を収め、彼は6回以上もカーテンコールを受けた。その後5ヶ月にわたるアメリカツアーの間も曲は熱狂的な歓迎を受け、ベルリンに戻ってからもフェルッチョ・ブゾーニの指揮と作曲者のピアノ、また作曲者の指揮とローゼンタールのピアノでの再演が続いた[1]。 演奏時間約39分[1] 楽曲構成
注釈注釈 出典
参考文献
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