ノート:高橋洋一 (経済学者)
植民地支配に関する高橋氏の主張とそれを否定する学術論文に関して「日本による植民地支配について」という節で私が執筆した内容に対し、製作工房さんから異議が唱えられ、記述を大幅に削除されました。このことについて、編集合戦に陥ることを避けるため、このノートにて合意を図るべく、書き込みいたします。 製作工房さんは、私が執筆した内容を削除するにあたって、2024-09-29 23:16 (UTC) 版の「編集内容の要約」において以下の2点を削除の理由として挙げておられます。
まず、1. に関して、「しかし実際は」から「内地と朝鮮では異なっていた」までは、英語における使用法や歴史的事象に関する事実についての記述であって、木村氏個人の見解ではありませんから、製作工房さんのご指摘は筋違いです(なお、事実と意見を区別することについてはWikipedia:中立的な観点#中立的な観点とはも参照してください)。高橋氏の意見に対して、木村氏はこれらの事実を根拠として反論しているわけですから、「高橋氏の意見」→木村氏が根拠とする「事実の確認」→この事実を踏まえた「木村氏の見解」、という順で記述することはなんら問題はないですし、それどころかむしろ望ましい、と考えています。中間の「事実の確認」が削除されてしまったことで、木村氏が何をもって自身の見解を主張しているのかが不明瞭になってしまっています。よって、この箇所を削除した製作工房さんの編集は不適切であると考えます。 次に、2. に関して、「主張」のセクションを「高橋の主張を紹介するセクション」と解されていますが、これは「高橋の主張を主に紹介するセクション」や「高橋の主張だけを紹介するセクション」では断じてありえません。彼の主張を紹介するだけなら、ウィキペディアで禁じられている「演説台、広告宣伝の手段」に該当しかねませんから、不適切です。高橋氏の主張が木村氏によって否定されているという事実がまず存在しているわけですから、それについてWikipedia:中立的な観点から記述することが求められます。そしてここでの「中立的な観点」は、両者の主張に関する記述の量を等しくするなどということをまったく意味しません。朝鮮植民地支配の歴史に関して高橋氏は素人で木村氏は専門家です。高橋氏の主張は『夕刊フジ』に掲載されたものであり、木村氏のものは学術誌に掲載された学術論文です(どちらがより信頼できる情報源かは自明かと思います)。これらの点を鑑みて、中立的観点を保つためにはそれぞれに「適当な重み付け」が与えられる必要があります(「適当な重み付け」についてはWikipedia:中立的な観点#適当な重み付けをよくお読みください)。したがって、「高橋の見解に反対する論者の意見のほうが多く引用されてい」ることは、「バランスが悪い」どころか、「適当な重み付け」が求められるWikipedia:中立的な観点からはむしろ「適切なバランス」であると考えます。 以上の理由から、製作工房さんによって実行された取り消しを再度取り消す次第です。ここに私が記した理由に問題があると感じられるのでれば、こちらでさらに議論を進めたいと考えます。製作工房さんだけでなく他の方のご意見も歓迎いたします。よろしくお願いいたします。--H-JAM(会話) 2024年10月7日 (月) 16:58 (UTC) 対話の場をご設定いただきありがとうございます。--製作工房(会話) 2024年10月9日 (水) 18:57 (UTC)
学術論文ではないと考えるのは、この論文が研究成果を報告することを目的として学術誌に投稿されたものではないからです。学術論文ならば「誰の目にも明らか」「ほぼ不可能」などの表現は用いられないと思うので、意見発表あるいは読み物と考えたほうがよいと思います。--製作工房(会話) 2024年10月9日 (水) 19:32 (UTC) ところで、直接今回の議論につながる話ではありませんが、普通選挙法では内地に住む朝鮮人には選挙権・被選挙権があり、ハングルによる投票を可能で、朝鮮人の代議士(朴春琴)も存在しました。内地に住む朝鮮人から選挙権・被選挙権がはく奪されたのは占領時代の1946年に行われた第22回衆議院議員総選挙からなのですが、このことはご存じでしたか。また、この事実についてどのように考えられますか。--製作工房(会話) 2024年10月9日 (水) 19:32 (UTC)
返信 長文のお返事をいただきありがとうございます。対話を進めるために、テーマを絞って対話したいと思います。まず対話したいこととして、私は木村幹の見解は書く必要がないと考えています。理由は、この記事が高橋の記事であり、現在議論の対象となっているセクションが高橋洋一 (経済学者)#主張だからです。H-JAMさんのお考えをなるべく短くお書きください。--製作工房(会話) 2024年10月10日 (木) 03:28 (UTC)
返信 ご主張の根拠を2つ挙げておられるように思うので、まずen:Wikipedia:Biographies of living personsのほうから書きます。日本語版の方針あるいはガイドラインではなく英語版の方針を根拠としておられるのは、日本語版のルールの中にあなたのご主張に沿うものがなかったということを反映していると思われます。ウィキペディアのルールは基本的に言語により独立しています。この状況は、あなたのご主張が日本語版のルールに基づくものではないということを示していると思われますが、どうお考えですか。--製作工房(会話) 2024年10月10日 (木) 07:34 (UTC)
返信 日本語版のガイドラインにも記事の対象となる人物の批判についてのルールが書かれていることを了解しました。しかし、以前から私が特に問題だと指摘している「しかし実際は、」から「法律の施行も、内地と朝鮮では異なっていた[72]。」までの文章は単に高橋が提示した「事実」と異なる「事実」が存在していることを指摘しているだけで、高橋の見解に対する批判になっていません。H-JAMさんはこの点についてどのように説明されますか。--製作工房(会話) 2024年10月10日 (木) 18:44 (UTC) 以下は、以前のメッセージで内地在住の朝鮮人には選挙権・被選挙権があったことに言及したことに関連する補足説明です。敗戦まで、朝鮮では普通選挙法が施行されていませんでした。したがって、木村幹の論文にある「現地の人々に国政参政権は与えられなかった」のは事実です。木村がこの箇所で「現地の人々」という言葉を使い他の箇所で使っている「現地住民」という言葉を使わなかったのは「現地住民に国政参政権は与えられなかった」と書くと上記の理由で間違いになってしまうからだろうと思います。ちなみに、「現地の人々」には朝鮮人ではない内地に戸籍がある日本人も含まれます。--製作工房(会話) 2024年10月10日 (木) 19:06 (UTC)(補足)木村の論文で「現地の人々」と書かれていると思っていたのですが、確認したところ木村の論文では「現地の住民」であり「現地の人々」はH-JAMさんが書かれた言葉でした。木村が他の箇所で使っている「現地住民」と変えた理由についての私の推測は変わりません。--製作工房(会話) 2024年10月10日 (木) 19:46 (UTC)
返信 「「英語の文献では、日韓併合のことを「アネクセイション」(annexation) と表現する。これは「植民地化」を意味する「コロナイゼーション」(colonization) とは概念が異なる」と述べている[65]。」の箇所が高橋が提示した「事実」ということになるでしょう。ただ、この引用はH-JAMさんが書かれた文章から引用したもので原文を確認していません。したがって。上に書いた「現地の人々」と同様にH-JAMさんが変更されているかもしれません。--製作工房(会話) 2024年10月10日 (木) 19:46 (UTC) お詫びと補足です。私は先ほどまで「しかし実際は、」から「法律の施行も、内地と朝鮮では異なっていた[72]。」までの文章はすべて木村の論文からの引用であり、単に分けて書いたものであると誤解していました。そのため、つじつまの合わない主張をしていたかもしれないのでその点をお詫びします。ただ、この部分が特に問題であるという見解に変更はありません。--製作工房(会話) 2024年10月10日 (木) 20:01 (UTC)
返信 2024年10月10日 (木) 20:36 (UTC) のメッセージでH-JAMさんが書かれたことについてのお返事です。「annexation と colonization は異なる概念である」は高橋個人の意見ではなく、事実として扱ってよいと考えます。そう考える理由は、この2つの言葉が共存しているからです。一般論として全く同じ概念を表す言葉が2つ存在すると淘汰が発生してどちらかの言葉が使われなくなります。 annexation と colonization についてはこのような現象は発生していません。ただ、「マック」と「マクド」のように同じ概念であっても地域によって異なる言葉が生き残り、日本全国でみると複数の言葉が生き残ることもありますが、annexation と colonization は同時に使われることもあるようなのでそういう関係ではなさそうです。次に「「英語の文献では、日韓併合のことを「アネクセイション」(annexation) と表現する。」という主張ですが、おそらくこれは「言い過ぎ」で、実態は「多い」程度だろうと思います。これの反証としては日韓併合のことをcolonizationと表現している例を1つ示せばよいだけです。しかし、「しかし実際は、例えば、米国国務省のウェブサイトでは米国によるフィリピンの植民地化に関して「併合 (annex, annexation) 」と「植民地化 (colonize, colonization) 」という二つの言葉が区別されずに用いられていたり[66]、ブリタニカ百科事典ではアフリカ南部の植民地化に関して「植民地として併合 (annex as a colony) 」と記述されたり[注釈 4][67]しており、英語で「併合」と「植民地化」という用語が厳密に区別されているわけではない。」に書かれている例はいずれも「日韓併合」に関するものではないので「反証」になっていません。--製作工房(会話) 2024年10月11日 (金) 08:10 (UTC)
返信 どうもH-JANさんは「異なる概念」という言葉を「全く重なるところがない概念」という意味にとらえておられるように思います。しかし、少なくとも私はそのような意味では使っていません。例えば「親」と「父親」は明らかに重なるところがありますが私の使い方では「異なる概念」を表す言葉です。そのあたりご理解の上、再度お考え下さい。--製作工房(会話) 2024年10月11日 (金) 15:12 (UTC)
返信 残念ながら堂々巡りに陥っているようなので、話題を変えます。以前私が削除しその後H-JAMさんが回復された箇所には、いくつか論証の根拠らしいものが書かれています。しかし、肝心の「本文」が書かれていません。H-JAMさんはどのような「本文」を想定してこれらの「根拠」を書かれたのでしょうか。このページでお示し下さい。--製作工房(会話) 2024年10月12日 (土) 11:42 (UTC)
返信 高橋洋一 (経済学者)#日本による植民地支配についての一番最後の文章は「朝鮮半島地域研究を専門とする木村幹は、(中略)、高橋の見解を否定している。」となっていますが、この「高橋の見解を否定している。」を指す言葉として「本文」を使っています。なお「(中略)、」と書いた部分を指す言葉として「根拠」を使っています。私独自の表現で分かりにくいかもしれませんが、H-JAMさん自身の言葉で読み替えてご理解下さい。--製作工房(会話) 2024年10月12日 (土) 12:31 (UTC)
返信 今後は私も「本文」ではなく「結論」という言葉を使うことにします。「否定している。」が「結論」の述語だとすると、「結論」の主語は「木村幹」であって、私が以前削除した箇所についても主語は「木村幹」であり、『「しかし、」「朝鮮半島地域研究を専門とする木村幹は、」「実際は例えば、(中略)法律の施行も、内地と朝鮮では異なっていた[72]。」「本国とは異なる統治が行われ、(中略)というのはほぼ不可能[72]」と論じ、」「高橋の見解を否定している。」』というように並べ替えて読んでも(このまま書くとつながりがおかしくなる箇所は修正するとして)意味は変わらないというように理解してもよいですか。--製作工房(会話) 2024年10月13日 (日) 00:28 (UTC)
返信 お返事が遅くなってすみません。これまで、「批判」について対話をしてきました。しかし、「批判」について議論をする以前にH-JAMさんが書かれた高橋の主張の要約が不正確なものであることに気づきました。色々考えたのですが、長くなるので続きは後日投稿します。--製作工房(会話) 2024年10月20日 (日) 01:01 (UTC) サブセクション高橋洋一 (経済学者)#日本による植民地支配についての削除を提案します。--製作工房(会話) 2024年10月24日 (木) 21:23 (UTC)
返信 途中の説明を抜かして、いきなり対処法だけを提案したのは間違いでした。お詫びします。合意なしにサブセクションの削除を強行するつもりはないのでご安心ください。順番が逆ですが途中の説明を書きます。このサブセクションで書いている高橋の主張は、2020年6月にzakzakへの投稿[1]中で表明したものです。この投稿で高橋はいわゆる徴用工裁判に対する韓国政府の姿勢を批判しています。しかし、H-JAMさんの書かれた文章にはそのことが書かれていません。そこで本来ならば新しい文章に変更するべきところです。ところが、当時韓国の政権与党であった共に民主党は2022年の政権交代で下野しているため、高橋の主張はいさささか時代遅れのものになっています。そのため、高橋の主張を記事に掲載する必要はないのでサブセクションごと削除するというのが私が考えたことです。よろしくご検討ください。--製作工房(会話) 2024年10月26日 (土) 09:34 (UTC)
返信 お返事を下さりありがとうございます。さて、最近、私はH-JAMさんは高橋の投稿と木村の論文の両方を読み違えておられると考えており、今回書かれた「今回高橋と木村のあいだで論争となったのは韓国併合が植民地化にあたるか否かという点であり」という見解もこの読み違えに起因するものだと考えます。しかし、単に「H-JAMさんは読み違えている」と書いても話がかみ合わないので、今後、高橋の投稿と木村の論文の両方について私が考えていることを書きます。今回は予告だけで、残りは日を改めて順次投稿します。--製作工房(会話) 2024年10月29日 (火) 22:10 (UTC) 続きです。木村の論文の要約について書きます。H-JAMさんは2024年2月25日 (日) 15:40 の投稿で『木村幹は、本国とは異なる統治が行われ、住民の権利も本国よりも制限されていたことを理由に、「現実の朝鮮半島や台湾等に引かれた統治体制は、明らかに内地とは異なるものであり、それが学術的定義に照らして「植民地」である事は誰の目にも明らか」であり、「これを植民地ではなかった、というのはほぼ不可能」と論じ、高橋の見解を否定している[1]。』と書いておられます。しかし、私はこの論文は直接高橋の投稿を批判するものではないと考えます。木村の論文では冒頭に高橋の投稿からの引用が書かれていて、「はじめに」の中には他に引用はなく、一見高橋の投稿を批判しているように見えます。しかし、木村が論文中で批判しているのは『「そもそも日本の朝鮮半島支配は植民地支配ではなかった」という言説』全般であり、高橋の投稿はその種の言説の一例として引用されているに過ぎません。「はじめに」の中には『とりわけこの種の言説は所謂「嫌韓本」として知られる韓国に対する否定的な著作で顕著であり』『これらの問題については著者も過去に幾つかの文章で言及した』などの文章もあり、木村が批判の対象としている「言説」に高橋の投稿以外の物も含んでいることは明らかであり、H-JAMさんの書かれた文章は木村の論文を正確に要約したものとは言えません。(続きます)--製作工房(会話) 2024年10月31日 (木) 07:44 (UTC)
続きです。先ほど(2024年10月31日 (木) 07:44 (UTC))の投稿の後木村の論文を見返していて気が付いたことを書きます。先にも書いた通り、H-JAMさんは木村の論文から「現実の朝鮮半島や台湾等に引かれた統治体制は、明らかに内地とは異なるものであり、それが学術的定義に照らして「植民地」である事は誰の目にも明らか」という箇所を引用しておられます。しかし、この文を最初から最後まで引用すると「しかしながら、その様な「精神」を離れて現実の朝鮮半島や台湾等に引かれた統治体制は、明らかに内地とは異なるものであり、それが学術的定義に照らして「植民地」である事は誰の目にも明らかだった。」であり、大日本帝国が「植民地」を支配していた当時の状況について記述している「第5章 三一運動の意図せざる影響」の「むすびにかえて」に掛かれている文章です。敗戦後の「日本の朝鮮半島支配は植民地支配ではなかったという言説」について書かれているものではないのて、この引用を高橋の投稿のに対する批判の根拠として木村が書いているように要約するのは不正確です。--製作工房(会話) 2024年10月31日 (木) 12:43 (UTC) --製作工房(会話) 2024年10月31日 (木) 13:55 (UTC)
返信 お返事を頂きありがとうございます。『2点目は省略します』ではコメントするべきかどうかの判断もできないのでどうぞお書きください。--製作工房(会話) 2024年11月1日 (金) 08:50 (UTC)
返信 2024年11月1日 (金) 00:38 (UTC) に頂いたメッセージについてお返事を用意していたのですが、その後かなり長文の追加のメッセージを頂いたので改めてお返事を用意します。なお「議論の筋を逸らすような指摘はもう結構です」とお書きですが、これまでの「お返事」ではあなたのメッセージへの「お返事」だけを書いているわけではなく、 2024年10月20日 (日) 01:01 (UTC)のメッセージで「後日投稿します。」と書いた「続き」も含まれます。あなたの書かれたすべてのメッセージに返答しているわけではないので、「返答するべき重要なメッセージを見落としている」と思われたときは、今回のようにご指摘いただくようお願いします。--製作工房(会話) 2024年11月2日 (土) 00:12 (UTC) (補足)2024年10月24日 (木) 21:23 (UTC)のサブセクション削除提案も「続き」の一部です。つまり、現在私が書いている「お返事」にはサブセクション削除提案の説明が含まれているとお考え下さい。--製作工房(会話) 2024年11月2日 (土) 00:21 (UTC) 以前から木村の論文による高橋の投稿に対する批判について議論をしてきており、現在も木村の論文について書いているので、私のサブセクション削除の提案は木村の論文の要約を主な理由としているとお考えかもしれません。しかし、2024年10月20日 (日) 01:01 (UTC)のメッセージをご覧いただけばわかるようにサブセクション削除提案の主な理由は「H-JAMさんが書かれた高橋の主張の要約が不正確なものであること」です。なるべく早く高橋の投稿に関する説明に入りたいと思っていますが、木村の論文について考えたことがもう少し残っているので、今しばらくH-JAMさんが書かれた木村の論文の要約についての私の見解を書かせてください。--製作工房(会話) 2024年11月2日 (土) 00:46 (UTC)
返信 H-JAMさんからのメッセージでお返事を書いていないものがたまってきているので、順不同になりますが、お答えしやすいものから順次お答えしていきます。早く回答をもらいたいものが後回しになっていると思われたら、質問等を再度示してご請求ください。 返信 2024年11月1日 (金) 00:38 (UTC)の「植民地否定論全体を批判しながら高橋氏の投稿自体は批判の対象に含めていない、などということはありえません。」とのご指摘について。私がH-JAMさんによる木村の論文の要約が不正確であると評しているのは、主に木村の論文の引用の仕方です。木村の論文で明らかに高橋の投稿に言及しているのは「はじめに」にある『冒頭に引用した発言に典型的にみられる様な、「そもそも日本の朝鮮半島支配は植民地支配ではなかった」という言説の広まりである。』だけです。この文中に「高橋」という記述はありませんが、冒頭の引用の脚注に書かれています。H-JAMさんが書いておられるそれ以外の引用文が高橋の投稿に言及しているというのはH-JAMさんの推測に過ぎず、いずれも独自研究です。またこれらの引用文から導かれたと思われる「高橋の見解を否定している。」という記述も独自研究とまではいいませんがいささか過剰な表現です。--製作工房(会話) 2024年11月2日 (土) 17:55 (UTC)
返信 H-JAMさんが 2024年11月1日 (金) 00:38 (UTC) のメッセージで『2点目は省略します』と書かれた趣旨について理解しました。『木村氏が批判している植民地否定論に高橋の投稿も含まれていると考えておられる』についてはその通りです。ただ、これはH-JAMさんとの対話での中身には直接関係しないことですが『植民地否定論』という表現は使わないほうがよいと考えています。木村自身も使っている表現ですが、『植民地否定論』というように省略してしまうのは、読者が「なんとなくわかってしまったような気になってしまう」よくない表現だと思います。--製作工房(会話) 2024年11月3日 (日) 19:08 (UTC) 返信 ( 2024年11月2日 (土) 04:51 (UTC) で書かれた『こちらがどのタイミングで書き込みすればよいかわかりません。』とのご指摘について} どのタイミングでお書きいただいても構いません。私が直前に書いたメッセージ以外のメッセージについて「返信」されるときはどのメッセージについて書いておられるのか誤解する可能性があるので、どのメッセージについて「返信」しておられるのかがわかるようなご配慮をお願いします。--製作工房(会話) 2024年11月3日 (日) 19:08 (UTC) 返信 2024年11月1日 (金) 00:38 (UTC)に書かれた『「むすびにかえて」は、第5章の下位項目ではなく別個の章です。』について。ご指摘の通りです。ありがとうございます。--製作工房(会話) 2024年11月4日 (月) 14:04 (UTC) 返信 2024年10月28日 (月) 22:59 (UTC) に書かれた『今回高橋氏と木村氏のあいだで論争となったのは韓国併合が植民地化にあたるか否かという点であり、そのような論争が起きたという事実は政権交代が起きようと消えることはありません。』について。(あるいは、H-JAMさんが作成された高橋の投稿の要約について)高橋の2020年6月13日のZakzakへの投稿[1]は、タイトルの中に『日韓併合は「植民地」支配ではない』と書かれているので、高橋の日韓併合に対する主張が含まれていると解釈してもよいと考えます。しかし、この投稿に対する木村の見解と木村の論文の影響を強く受けていると思われるH-JAMさんが作成された要約は間違っていると考えます。そう考える理由を簡単に書くとタイトルの『「植民地」』につけられた『「』と『」』を無視しているからです。詳しく説明を書きだすと長くなるので後日投稿します。--製作工房(会話) 2024年11月4日 (月) 20:10 (UTC)
返信 言葉の印象の問題に過ぎないかもしれませんが、(他人の考え方を)「否定する」という表現はあまり好きになれません。私としては「反対している」のほうが好きかなというところです。木村本人は論文中で自分自身の考え方を示す際に(他人の考え方を)「否定する」という表現を使っていないように思います。--製作工房(会話) 2024年11月5日 (火) 19:30 (UTC) 返信 2024年11月4日 (月) 20:10 (UT) のメッセージの続きを書こうと思って木村の論文を検索していて、木村の論文中に『植民地否定論』と書かれた箇所は1か所もなく、『「植民地」否定論』が6か所、『朝鮮植民地否定論』が1か所であることに気づきました。このことは、木村が高橋と同様に「植民地」という言葉の意味がさまざまであることを意識して限定的な意味で使っていることを示しています。私は、 2024年11月4日 (月) 20:10 (UT) のメッセージで木村の見解が間違っていることの理由として≪タイトルの『「植民地」』につけられた『「』と『」』を無視しているからです。≫と書きましたが、自分自身で「植民地」という書き方を使っている木村が『「』と『」』を無視しているとは考えられないので、お詫びして訂正します。--製作工房(会話) 2024年11月6日 (水) 00:16 (UTC)
返信 お返事をいただきありがとうございます。すでに書いていると思っていたのですが、書き忘れていたかもしれないので書いておきますと、私が間違っていると考えているのは「併合後の朝鮮は日本の植民地には当たらないとの見解を示している」の部分です。根拠としては植民地に「併合」が植民地の一つの形態であることが記述されていることを上げます。なお、以前(2024年10月10日 (木) 00:14 (UTC))H-JAMさんは『製作工房さんは「植民地」の記事における記述を根拠に朝鮮が植民地であったか否かを議論されようとしていますが、これは根拠になりません。なぜなら、ウィキペディアの記事の根拠としてウィキペディアの別の記事を用いることは、認められないからです。』と書いておられますが、今回の主張にこのご意見は当てはまりません。それは、私が「記述を提案する」側ではなく「記述の削除を提案する」側だからです。つまり、私はH-JAMさんの記述があやしいことを主張しているだけなので、上で引用した記述が信頼性のある情報源に基づく正しい記述であることを立証する責任はH-JAMさんにあります。--製作工房(会話) 2024年11月7日 (木) 01:03 (UTC) 補足です。『否定している』という表現についても立証責任は同様です。私の理解では木村が『高橋の見解を否定している』ことを示す信頼できる情報源はありません。単に私が見落としているだけということも考えられるので、H-JAMさんがこの言葉を使いたいのなら、「信頼できる情報源」をご提示ください。--製作工房(会話) 2024年11月7日 (木) 02:18 (UTC)
返信 基本的に木村の論文を「信頼できる情報源」として扱うことに反対しませんが[1]、木村の論文をH-JAMさんが要約した箇所については「信頼できる情報源」には当たりません。そして、『高橋の見解を否定している』という表現はこれに該当すると考えています。ただ、2024年11月7日 (木) 02:18 (UTC)にも書いたように私が見落としているだけという可能性も否定できないので、木村の論文中にこの文章がそのまま使われている箇所があるなら、すこし長めに引用するなど、どのあたりにあるかがわかるような形で引用してお示しください。また、例えば『高橋の見解を』と『否定している』が別の場所に書かれている記述であるというようなことがあるなら、それぞれが元の文ではどのような形で使われていたのかわかるように引用してお示しください。--製作工房(会話) 2024年11月7日 (木) 09:30 (UTC)
返信 それは、要約を作成する際に元の文と意味が変わってしまう可能性があるからです。--製作工房(会話) 2024年11月7日 (木) 10:09 (UTC)
返信 ご理解いただいてありがとうございます。--製作工房(会話) 2024年11月7日 (木) 10:42 (UTC)
返信 私がこれから書くルールはWikipedia:信頼できる情報源には書かれていないのかもしれませんし、あるいはガイドラインすら存在しないのかもしれませんが、あたりまえのルールだと考えています。それは、「情報源に書かれた情報を正確に記事に反映させる」ということです。いささか極端な例を設定して説明すると、ある信頼できる歴史書Aに「B戦争でC軍はD軍を壊滅させた」と書かれているときに、ウィキペディアのB戦争の記事に「この戦争でD軍はC軍を壊滅させた(出典:歴史書A)」と全く逆のことを書くことが技術的には可能です。(私を含む)記事を読んだときに出典を確認しないうかつな読者はこの「嘘」にすぐに気づくことはありませんし、出典の存在を確認するだけでその中身まで読まない読者もやはりこの「嘘」に気づくことはありません。もちろん、いずれは誰かがこの「嘘」に気づいて修正することになるでしょうがそれまでの間はこの「嘘」が堂々とウィキペディアに掲載されることになりますし、修正されるまでの期間が長ければGOOGLE検索などにも反映する可能性があります。今「嘘」という言葉を使って説明しました。「嘘」という言葉は「わざと」行った場合に使う言葉ですが、「わざと」ではなく「勘違い」などでこのような状況になる可能性もあります。それで、話をこのセクションの話題に戻すと、以前から書いているように私はH-JAMさんが作成した要約は不正確な要約だと考えています。H-JAMさんがわざと情報源と違うことを書いておられるとは思いませんし、情報源に書かれていることと全く逆のことを書いておられるとも思いませんが、少しでも「ずれ」があれば不正確な要約と呼んでも間違いではないと考えます。この点についてはかなり以前より書いていると思うのですが、これまでの議論を見ているとH-JAMさんは「もしかすると勘違いあるいは見落としがあるかもしれない」と考えられることがあまりないように思います。--製作工房(会話) 2024年11月7日 (木) 16:54 (UTC)
返信 お返事ありがとうございます。私は、高橋が投稿のタイトル中で「植民地」というかっこ付きの表現を用いていることが重要であり、H-JAMさんが高橋の投稿の要約を作成するにあたってこのかっこを無視しておられるのが問題であると考えています。そこで、なぜかっこを無視しておられるのが問題であると私が考えているかをH-JAMさんにご理解いただけるまで説明しようと考えています。ただ、もしH-JAMさんがこのかっこを無視されているわけではないなら、このような説明は無意味になります。そこで、説明を始める前に「H-JAMさんは高橋の投稿のタイトルの植民地の語につけられたかっこを無視しておられるのか。もし、無視しておられないならどのような形で要約に反映しておられるのか。」について質問します。--製作工房(会話) 2024年11月8日 (金) 20:09 (UTC)
返信 『まずは木村論文の要約の問題に絞ってお話しを進めましょう。』とのご提案ですが、私が途中で高橋の投稿の要約の話題を追加したためにわかりにくくなってしまったようです。そこで別セクション#サブセクション「高橋洋一 (経済学者)#日本による植民地支配について」における高橋の投稿の要約についてを作りました。--製作工房(会話) 2024年11月11日 (月) 11:29 (UTC) 返信 H-JAMさんの木村論文の要約で一番問題だと思うのは、高橋の投稿について指摘しているのかどうかが明らかでない木村の論文からの引用が含まれていることです。--製作工房(会話) 2024年11月11日 (月) 11:40 (UTC) 補足です。木村は論文中で自身の言う「「植民地」否定論」を様々な観点から批判しています。木村の論文中にある「即ち、それは冒頭に引用した発言に典型的にみられる様な、「そもそも日本の朝鮮半島支配は植民地支配ではなかった」という言説の広まりである。」という文章から判断すると、木村の言う「「植民地」否定論」は言説中に「日本の朝鮮半島支配は植民地支配ではなかった(ない)」という表現を含むものをすべて含んでおり、戦前のものや高橋の投稿を含めていることから、言説の主張が何であるかは問わないようです。主張の異なる言説が含まれることになるため、木村の批判はある言説には当てはまるが他の言説には当てはまらないという現象がしばしば生じます。したがって、木村が高橋の投稿を批判していることが明らかなのは「冒頭の引用」等の表現で高橋の投稿に対する批判であることを明示しているものだけであり、それ以外の「「植民地」否定論」に対する批判は高橋の投稿を対象に含むかどうかは不明です。--製作工房(会話) 2024年11月12日 (火) 05:38 (UTC)
コメント H-JAMさんは「二人が納得する結論に辿り着くまでまだ時間がかかるかもしれませんが、今少し辛抱強くお待ちいただけないでしょうか。」とお書きですが、私は少し前から「二人だけで合意に到達することはむずかしいだろう。自分の主張を書き終えた時点で合意のためのコメント依頼をしよう」と考えていました。書き残したことも少しあるのですが、2001:240:2461:2886:187d:e1dd:2bc3:bde2さんが合意のためのコメント依頼をされたのを機に、(いささか無責任かもしれませんが)この議論から撤収します。もちろん、H-JAMさんが引き続き議論に参加されることについては何ら問題ありませんし、議論がどのような形で終了することになったとしても不満等を申し上げるつもりはありません。--製作工房(会話) 2024年11月25日 (月) 10:07 (UTC) 終了 製作工房さんがこれ以上議論されないとのことですので、このノートでの議論はここで終了したいと思います。もし他に異論がおありの方がいらっしゃるようでしたら、再度提起していただけますと幸いです。--H-JAM(会話) 2024年11月25日 (月) 10:37 (UTC) コメント 先のメッセージで「議論がどのような形で終了することになったとしても不満等を申し上げるつもりはありません。」と書いたことと食い違うことになるかもしれませんが、H-JAMさんが「終了」を「宣言」されるのは不適切だと考えます。というのは、合意のためのコメント依頼が出された時点でこの議論はH-JAMさんと私の対話ではなく、ウィキペディア日本語版全体の議論にはなっているからです。(元々、公開の場でのやりとりでだれでも参加できるので、最初から全体の議論の場であったとも言えるのですが、コメント依頼が出される以前は、参加者が二人だけだったので「対話」というとらえかたもできるとは思います。) コメント上のコメントの補足説明です。元々#植民地支配に関する高橋氏の主張とそれを否定する学術論文に関してにしても#サブセクション「高橋洋一 (経済学者)#日本による植民地支配について」における高橋の投稿の要約についてにしても私とH-JAMさんの二人だけで議論していたわけです。しかし、コメント依頼により新しい方が議論に参加されてからは私とH-JAMさんの二人は他の参加者の方と同様の議論参加者の一人にすぎないと思います。私が議論から撤収したのと同様に、H-JAMさんが議論から撤収されること自体に別段問題ありませんが、後から議論に参加された方は議論の場がある前提で参加しておられるわけで、後から議論に参加した方が追加の投稿をできなくなるようにするのはよくないと思うのですがどうでしょうか。--製作工房(会話) 2024年11月26日 (火) 14:17 (UTC) コメント「撤収する」という表現が誤解を与えるかもしれないので補足します。「議論から撤収する」というのは今後新たな主張を追加するつもりはないということで、これまで主張したことを「撤回する」ということではありません。--製作工房(会話) 2024年11月26日 (火) 14:53 (UTC) 提案 2024年11月26日 (火) 05:35 (UTC)のメッセージで「H-JAMさんが「終了」を「提案」され、他の参加者の方が同意されるという形にするのが良いでしょう。」と書きましたが、H-JAMさんの提案を待つまでもなく、自分で「提案」すればよいことに気づきました。そこで、このセクションと#サブセクション「高橋洋一 (経済学者)#日本による植民地支配について」における高橋の投稿の要約についてでの議論を終了することを提案します。なお、2つのセクションは形式としては別のセクションなので、いささか形式的ですが、2つのセクションの両方での議論を終了することに反対の方は両方のセクションに、どちらか片方のセクションでの議論の終了にだけ反対の方は議論を続けたいセクションに議論の終了に反対する旨のメッセージ等をお書きください。また、いつまでも「提案」がたなざらしになるのはよくないと思うので、議論の終了に反対の方は2週間程度の間にメッセージ等をお書きいただくようお願いします。--製作工房(会話) 2024年11月27日 (水) 05:02 (UTC)
終了 なんのご意見も出ませんでしたので、これで終了とさせていただきます。--H-JAM(会話) 2024年12月16日 (月) 01:52 (UTC) SNS外部リンクにSNSのリンクが複数がありましたがWP:ELMINの観点から過剰だと思われるので削減しました。 --2001:240:2479:665D:9961:74DA:D2B:5EB2 2024年11月11日 (月) 00:53 (UTC) サブセクション「高橋洋一 (経済学者)#日本による植民地支配について」における高橋の投稿の要約についてこのセクションは#植民地支配に関する高橋氏の主張とそれを否定する学術論文に関してでの議論の一部を切り分けたものです。今後高橋の投稿の要約についてのメッセージは#植民地支配に関する高橋氏の主張とそれを否定する学術論文に関してではなくこちらに書きます。--製作工房(会話) 2024年11月11日 (月) 11:24 (UTC) 現在、H-JAMさんが作成した要約が不正確なものであると考えている点は二つあります。一つ目は。高橋のZakzakへの投稿は いわゆる徴用工問題について自身の主張を述べたものであることに関連します。この投稿で書かれている大日本帝国の朝鮮支配に関する意見は、一般的な議論で述べられている意見の中で自身の主張に有利であると高橋が考えたものを抜粋したものです。ところが、H-JAMさんの要約にはこの投稿が徴用工問題に関するものであることが書かれておらず、まるで高橋が大日本帝国の朝鮮支配全体についての意見を述べたかのように受け取られる内容になっています。発言等の一部を取り出して誤解を与える報道をするというのはマスコミ等でしばしばみられる現象です。H-JAMさんにそのような意図はないと思いますが、外見的にはこのようなマスコミの不適切な行為と同様な行為になっています。二つ目は高橋がタイトルに「植民地」というようにかっこを使っていることを考慮していない点です。わざわざかっこを使っているのには何か意味があるのでしょうが、残念ながらこのかっこが何を意味しているか投稿中に明確には書かれていないようです。この投稿が徴用工問題についての意見であることから見て、木村の論文にある「韓国においては日本による朝鮮半島支配は、正当な国際法的手続きに反した違法なものであり、故にその支配は法的には無効である、という理解が公式のものとなっている。」のことではないかと推察していますが、あくまで私の推察に過ぎません。この点についてはH-JAMさん自身は何らかの形で反映させておられるつもりなのかもしれないので、もしそうなら説明してください。--製作工房(会話) 2024年11月12日 (火) 04:52 (UTC)
コメント H-JAMさんは「二人が納得する結論に辿り着くまでまだ時間がかかるかもしれませんが、今少し辛抱強くお待ちいただけないでしょうか。」とお書きですが、私は少し前から「二人だけで合意に到達することはむずかしいだろう。自分の主張を書き終えた時点で合意のためのコメント依頼をしよう」と考えていました。書き残したことも少しあるのですが、2001:240:2461:2886:187d:e1dd:2bc3:bde2さんが合意のためのコメント依頼をされたのを機に、(いささか無責任かもしれませんが)この議論から撤収します。もちろん、H-JAMさんが引き続き議論に参加されることについては何ら問題ありませんし、議論がどのような形で終了することになったとしても不満等を申し上げるつもりはありません。--製作工房(会話) 2024年11月25日 (月) 10:07 (UTC) 終了 製作工房さんがこれ以上議論されないとのことですので、このノートでの議論はここで終了したいと思います。もし他に異論がおありの方がいらっしゃるようでしたら、再度提起していただけますと幸いです。--H-JAM(会話) 2024年11月25日 (月) 10:37 (UTC) コメント 先のメッセージで「議論がどのような形で終了することになったとしても不満等を申し上げるつもりはありません。」と書いたことと食い違うことになるかもしれませんが、H-JAMさんが「終了」を「宣言」されるのは不適切だと考えます。というのは、合意のためのコメント依頼が出された時点でこの議論はH-JAMさんと私の対話ではなく、ウィキペディア日本語版全体の議論にはなっているからです。(元々、公開の場でのやりとりでだれでも参加できるので、最初から全体の議論の場であったとも言えるのですが、コメント依頼が出される以前は、参加者が二人だけだったので「対話」というとらえかたもできるとは思います。) コメント上のコメントの補足説明です。元々#植民地支配に関する高橋氏の主張とそれを否定する学術論文に関してにしても#サブセクション「高橋洋一 (経済学者)#日本による植民地支配について」における高橋の投稿の要約についてにしても私とH-JAMさんの二人だけで議論していたわけです。しかし、コメント依頼により新しい方が議論に参加されてからは私とH-JAMさんの二人は他の参加者の方と同様の議論参加者の一人にすぎないと思います。私が議論から撤収したのと同様に、H-JAMさんが議論から撤収されること自体に別段問題ありませんが、後から議論に参加された方は議論の場がある前提で参加しておられるわけで、後から議論に参加した方が追加の投稿をできなくなるようにするのはよくないと思うのですがどうでしょうか。--製作工房(会話) 2024年11月26日 (火) 14:22 (UTC) コメント「撤収する」という表現が誤解を与えるかもしれないので補足します。「議論から撤収する」というのは今後新たな主張を追加するつもりはないということで、これまで主張したことを「撤回する」ということではありません。--製作工房(会話) 2024年11月26日 (火) 14:55 (UTC) 提案 2024年11月26日 (火) 05:35 (UTC)のメッセージで「H-JAMさんが「終了」を「提案」され、他の参加者の方が同意されるという形にするのが良いでしょう。」と書きましたが、H-JAMさんの提案を待つまでもなく、自分で「提案」すればよいことに気づきました。そこで、このセクションと#植民地支配に関する高橋氏の主張とそれを否定する学術論文に関しての議論を終了することを提案します。なお、2つのセクションは形式としては別のセクションなので、いささか形式的ですが、2つのセクションの両方での議論を終了することに反対の方は両方のセクションに、どちらか片方のセクションでの議論の終了にだけ反対の方は議論を続けたいセクションに議論の終了に反対する旨のメッセージ等をお書きください。また、いつまでも「提案」がたなざらしになるのはよくないと思うので、議論の終了に反対の方は2週間程度の間にメッセージ等をお書きいただくようお願いします。--製作工房(会話) 2024年11月27日 (水) 05:02 (UTC)
終了 なんのご意見も出ませんでしたので、これで終了とさせていただきます。--H-JAM(会話) 2024年12月16日 (月) 01:52 (UTC) |
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