ノート:大日本帝国海軍日露戦争後から三大海軍だったのだろうか?一次大戦後のように思えるが?--KZY 07:11 2004年6月12日 (UTC)
>太平洋戦争の敗退により解体される。 >組織 通称について大日本帝国海軍の通称として「帝海(ていかい)」が用いられていた旨の記述が複数回(2006年2月2日 (木) 08:40に219.125.61.63 さん、2006年3月12日 (日) 03:08に220.217.29.222さん、2006年6月23日 (金) 07:36に219.125.48.245さんから)加筆されていますが、寡聞にして存じません。もし使用されている例があればノートにご提示していただくことはできますでしょうか? お手数かもしれませんが、お願いいたします。--Kawai 2006年6月29日 (木) 16:25 (UTC) 編集後記 空軍化について歴史の節にある、「もし戦後海軍が解体されなければ、空軍は海軍航空艦隊の分離独立となったと思われる。アメリカ空軍が陸軍航空隊の分離独立であったことを考えると興味深い比較である。」というのは独自研究ではないでしょうか。情報源の掲示を求めます。加えて、内容的にも航空総軍の存在を無視しているように見受けられます。--sabulyn 2007年8月22日 (水) 09:12 (UTC)
”旧日本海軍”の表記について。Kk8998982と申します。先日、戦艦大和にてIPユーザーとリバート合戦気味となりましたので、皆様のご意見を伺いたいと思います。
もちろん"大日本帝国海軍"には、功罪両面があると思いますが、"旧日本海軍"と言う表記は一方的に"罪"の面を強調する表記であるように思われます。私が"過剰に反応"している向きもあるかもしれませんが、件のIPユーザ氏の仰るところの「"旧日本海軍"の表記の方が"大日本帝国海軍"より分かりやすい」(要約の趣旨より)と言う論理は私には良く分かりません。
"旧日本海軍"という用語は、Google books だけでも、244件もヒットします。したがって、個人的な感慨や感想によって、この用語を排除する必要はないと思います。また、各項目で使用されている「旧日本海軍」や「日本海軍」など「大日本帝国海軍」以外の用語を見つけ出して、片っ端から「大日本帝国海軍」に変更する行為もいただけないですね。一方、"大日本帝国海軍"のほうも、276件もヒットしますので、項目名を大日本帝国海軍から旧日本海軍に変更する必要はないと思いますし、各項目で使用されている「大日本帝国海軍」や「日本海軍」など「旧日本海軍」以外の用語を見つけ出して、片っ端から「旧日本海軍」に変更する行為もいただけないですね。統一性はとれていなくてもリンク先が正確なら別にかまわないと思います。もちろん、上記で示された>厚生労働省設置法などの場合、旧を外すのはまずいですね。以上のように考えます。Takabeg 2012年1月9日 (月) 04:39 (UTC) 二・二六事件について『岡田啓介回顧録』には、迫水久常が大角岑生海相に対し、岡田救出のため海軍陸戦隊を一時首相官邸に入れるよう提案したところ、そんなことをして陸軍との戦争になったらどうすると却下されたという話が載っています。海軍が武力を以て鎮圧しようとしたとの出典は、いずれの書物なのでしょうか。水晶の兎 2007年10月26日 (金) 14:47 (UTC) 連合艦隊や横須賀鎮守府が軍艦・陸戦隊を動かした件については阿川弘之の「米内光政」ほかに記載があります。当時の状況から考えて、大角が煮え切らない態度でも実戦部隊が「鎮圧命令があれば動けるように」態勢を整えるのはそう不思議ではなく、それを「海軍が鎮圧しようとした」と書いても書きすぎではないかと。--202.231.141.179 2008年5月6日 (火) 07:17 (UTC)
『大東亜戦争』の記述に拘る意図を示して下さい。このページにおいて、太平洋戦争(大東亜戦争)という記述を大東亜戦争(太平洋戦争)の記述に書き換えられる行為が見られます。先の大戦における呼称はどちらが正しいか?いう論議はともかくとして、他の日本軍関係の記述では太平洋戦争(大東亜戦争)という順による記述で統一されています。何故『大日本帝国海軍』のページだけにおいて大東亜戦争(太平洋戦争)の記述に拘るのか?意図をお聞かせ下さいませんか?はっきりした意図が示されない場合、個人的なこだわりか、あるいは荒し行為と判断せざるを得ません。--男梅 2012年1月4日 (水) 13:50 (UTC)
1) 現在、記事 太平洋戦争 が詳細な内容、記事 大東亜戦争 がより簡素な内容になっているのは事実ですが、ノート:大東亜戦争、ノート:太平洋戦争などを見る限り、「太平洋戦争を主項目とし、大東亜戦争は主として呼称の説明に止める」というような合意が成立した結果ではなく、「たまたまそうなっている」に過ぎないようです。これを基準にして議論をするのは適当ではないと思われます。 2) 広辞苑第4版で、「大東亜戦争」は「太平洋戦争の日本側での当時の公称」と定義されており、「大東亜戦争=太平洋戦争」という認識が一般的と認められます。「大東亜戦争の期間について諸説があるので (同時代的観点からすると太平洋戦争と同義のはずですが)、不必要な混乱を招く可能性があります。」という心配は杞憂ではないでしょうか。なお、アジ歴レファレンスコード A09051660700 「今次戦争の呼称並に平戦時の分界時期等に関する件」には「二、給与、刑法ノ適用等ニ関スル平時、戦時ノ分界時期ハ昭和十六年十二月八日午前一時三十分トス」とあり、「大東亜戦争=太平洋戦争」という一般的な認識を裏づける材料となるでしょう。 同じ文書で「一、今次ノ対米英戦争及今後情勢ノ推移ニ伴ヒ生起スルコトアルヘキ戦争ハ支那事変ヲモ含メ大東亜戦争ト呼称ス」と『支那事変ヲモ含メ大東亜戦争ト呼称ス』と書いているのが問題をややこしくするのですが、「支那事変は遡及して大東亜戦争に含まれる」と当時の日本政府が「本気で」考えたのであれば、「二、給与、刑法ノ適用等ニ関スル平時、戦時ノ分界時期ハ昭和十六年十二月八日午前一時三十分トス」とはされず、「二」は、平時、戦時の分界時期を支那事変の最中に遡及させるものになったでしょう。 3) 以上から、Wikipediaにおいて、大東亜戦争 単独表記を認めないという根拠は存在しないと考えます。--Pooh456 2012年1月9日 (月) 12:12 (UTC) この発言は不適切でしたので取り消します。--Pooh456 2012年1月12日 (木) 08:07 (UTC)
理解を助けるために例を挙げますと、 というのがウィキペディアにおける現状でありますから、呼称に関する項目にのみ内部リンクを張るのには反対する次第なのであります。 Takabeg 2012年1月10日 (火) 10:32 (UTC) (不愉快な思いをさせるのであれば申し訳ありません)Pooh456さんは『聯合艦隊司令長官 山本五十六』のノートのページでも、私の編集に対して否定的な記述をされているのですが、理由は何故ですか?何故私に対して個人攻撃的な記述をされるのですか? 私は『大東亜戦争の表記を正しいとして優先させるという根拠と意図を示して欲しい』と言っているのであって、太平洋戦争と大東亜戦争の呼称の善し悪しを論議しているのではありません。今回の記述に関して、過去にも他の方が太平洋戦争(大東亜戦争)という記述に修正されても、どなたかが逆の記述に変更される…のを繰り返されています。私個人の独断的なこだわりで変えているのではありませんよ。また現在の政府の方針としては、太平洋戦争という呼称も大東亜戦争の呼称も用いられず『先の大戦』で統一されています。したがって公式には太平洋戦争という呼称も、大東亜戦争という呼称も正しくはないのです。正しく表記するのであるとするならば、『第二次世界大戦極東戦線』あるいは『第二次世界大戦アジア戦域』と呼称する方が正しいのでは無いでしょうか?(欧州の百科事典では、その様な記述が非常に多いです)また。Pooh456さんが根拠とされている内容は、もはや既に有名無実になっており、事実上無効となっています。ですので現在の一般的(慣習的)な呼称である『太平洋戦争』を優先させるべきです。Pooh456の記述された論説はこじつけの理論であって一般的には理解されにくい事でしょう。(同じ事を繰り返しますが、『正しい事』と『それを記述することの是非』は同じではありません)。今では太平洋戦争が一般的な呼称であり、大東亜戦争と言う呼称は例外的に用いられている(もっといえば特定の保守団体が頑固に使っている)と判断するのが普通です。Pooh456は、何かと言えば『ウィキのルール』『意見統一されているのか?』というのを理由とされますが、他のページを見ると太平洋戦争(大東亜戦争)とするのが既に暗黙のルールとなっています。他のページで先の大戦に対する呼称を統一された表記になっているのであれば、普通の感覚としてそれに従うのが当然であり、ことさら当該ページのみにおいて大東亜戦争の記述を優先させる必要はありません。もしPooh456が大東亜戦争(太平洋戦争)が正しい・大東亜戦争を優先させるべきであるとするならば、それを井戸端などで意見提起して他の方の意見を集約した上で結論付けて下さい。(今回の文章は、Pooh456氏の編集作業に対し、他のページで他の方から苦言・注意を呈する意見も見られますので、老婆心ながらあえて指摘を加えたく、厳しい表現・個人攻撃的な内容になったことは謝罪いたしますが、私の意図だけはご理解下さい) 他の皆様方、ご意見ご指導ありがとうございます。今回の問題に関しては太平洋戦争(大東亜戦争)とするのが原則であり、 原則は不要だと思いますが、これだけはやってはいけないという「禁則」を設ければよいと考えます。「思想に拘った無用な行動である」と決め付けるのには、無理がありますね。そういうユーザーもいるかもしれませんし、ただ、大東亜戦争という響きが好きだから代えてみたユーザーもいるかもしれませんし、それ以外の理由で編集したかもしれません。それと、この頁ではなくて、たとえば、ノート:太平洋戦争かノート:大東亜戦争で議論したほうが、より多くのユーザーの関心を集めることができると思いますよ。関連プロジェクトの頁があれば、そこでもいいかもしれません。Takabeg 2012年1月11日 (水) 04:10 (UTC)
Pooh456氏へ、 早々の返事ありがとうございます。今回、私がPooh456に対して多少過激な文章を記述したことをお詫びすると共に、丁寧な返答とお詫びの文章には感謝いたします。自らのご意見を取り下げる事は勇気のあったことでありましょう。Pooh456の反対意見取り下げのご協力をもって、本ノートページにおいては、『太平洋戦争(大東亜戦争)の記述を基本とする』という形に結論付いたとさせて頂きます。なお、こちらのノート議論を見ずに大東亜戦争(太平洋戦争)の記述に変更する人に注意を促すため、本文中に注意文を記述し注意喚起することと致します。 Takabeg氏へ、今回は提案者互いの意見が統一されましたので、今回は上記の様な対応をさせていただきます。太平洋戦争・大東亜戦争の呼称の是非については、このノートでの議論では解決しない問題かと思いますので、私も井戸端な等で議論を提起される事に賛成します。また提起された場合には、私も議論に積極的に参加することをお約束致します。--男梅 2012年1月12日 (木) 12:21 (UTC) ただ、「思想に拘った無用な行動であると判断し」という点では、意見が統一されていないので、その部分はノーカウントでいいですね?Takabeg 2012年1月13日 (金) 05:35 (UTC) ノーカンでお願いします。大東亜戦争&太平洋戦争の意見については、当該井戸端等のページで論議を続けるという形で了解お願いします。また誤解を招く記述は撤回いたします。--男梅 2012年1月13日 (金) 10:08 (UTC) 艦隊決戦主義を終戦まで見直すことができなかったのか否か?「決定的に確立された艦隊決戦主義を終戦まで見直すことができなかった。」とありますが、終戦まで見直すことができなかったというのは誇張された感があります。 「決定的に確立された艦隊決戦主義を大戦後半まで見直すことができなかった。」とするのが適切ではないでしょうか? 講談社文庫 真珠湾攻撃総隊長の回想 淵田美津雄自叙伝 225頁によると、『海軍が、戦艦部隊を主力から支援兵力にはっきりと格下げしたのは、ときすでに遅く昭和19年(1944年)六月、マリアナ沖海戦のころからである。その三ヶ月前の三月一日、戦艦基幹の第一艦隊を解隊して、航空中心の第一機動艦隊(小沢治三郎中将)に編成替えを行なった。戦艦群は、主力部隊から前衛部隊にやっとうつされたのである。』とあります。 脚注の不足本記事について「Template:脚注の不足」を貼り付ける予定です。ご意見等あればどうぞ。--サフィル(会話) 2016年3月19日 (土) 11:32 (UTC)
例えば、概要においての脚注は1つです。--サフィル(会話) 2016年3月19日 (土) 21:21 (UTC) 太平洋戦争で帝国海軍は何故負けた?帝国海軍といえば戦艦大和! 最強の戦艦とも言われ、当時世界最大の口径を誇る主砲を搭載、遠距離からの砲撃も可能でした。しかし、太平洋戦争では真珠湾奇襲で帝国海軍の航空機が活躍した為、航空機中心の戦闘になってしまいました。既に、戦艦の出る幕は無かったのではないのでしょうか?皆さんはどう思いますか? Murakami.ryo(会話) 2020年5月22日 (金) 10:22 (UTC) |
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