ニブンノゴ!
ニブンノゴ!は、日本のお笑いトリオ。吉本興業所属。1997年7月に結成され、2024年2月に解散した。解散後、宮地は宮地ケンスケ名義で放送作家として、森本と大川はお笑いコンビ・チキンナンバンとして活動。 メンバー
略歴高知県立高知東高等学校のバスケットボール部の先輩、後輩である宮地と大川が、文化祭をきっかけにコンビを結成。その後、大川の幼なじみの森本が加わりトリオとなる。「トーメン団地」という名称でインディーズで活動していたが、のちに商標上の問題からトリオ名を「ニブンノゴ!」に改名した。 1997年4月に高知から上京し、渋谷公園通り劇場のオーディションを経て吉本興業に所属[4]。のちに『アメトーーク!』(テレビ朝日)で「泥の97年デビュー組芸人」の内の1組として紹介される[5][6]。 2000年、映画『クロスファイア』に未成年犯罪者グループの一員の役で出演。 2005年、吉本興業の若手芸人16組によって行われた「元気ハツラツぅ?CMバトル(オロナミンC)」にて優勝し、賞金8,202ペソ(約37万円)を獲得。 2005年より、田村淳がヴォーカルをつとめるヴィジュアル系ロックバンド「jealkb」に大川がギタリスト「ediee」(エディ)として、森本がヴァイオリン&ダンス担当「hideki」(ヒデキ)として参加。また、宮地も「sakura」(サクラ)の名でライブを盛り上げるMCや前説などサブメンバーの公式応援団長として参加。 2008年1月4日、ヨシモト∞の金曜2部MCであった品川庄司の代理でMCを行い、同年2月1日付でサブ・レギュラーに昇進。隔週火曜日1部担当になった。 2024年2月4日のルミネtheよしもとの出番をもって解散[7]。解散後、宮地は宮地ケンスケ名義で放送作家業に専念し、森本と大川は2月5日付でお笑いコンビ・チキンナンバンを結成し[8][9]、これまでやってこなかった漫才を中心にM-1グランプリへの挑戦も目標に活動していくことを明らかにした[7]。 宮地謙典高知県高知市出身[1]。声優の久川綾とはとこの関係にある。高知県立高知東高等学校を卒業。2007年より、一発ギャグを始める。代表作に「スイッチオンマイマイン」「宮地の夏」「お客さーん、宮地です!」などがある。ピン芸人「ビューティーマッスル」としても活動していた。2009年9月2日にヨシモト∞ホールで行われたサカイストのシチサンLIVEにゲスト出演し、大喜利で1位を獲得した。 森本と大川がjealkbを始めたことにより単独の時間ができ、神保町花月の支配人から脚本を書いてみることを提案され、脚本家として活動するようになる[4]。ルミネtheよしもとで行われるSPコメディにおいても、座長の今田耕司の勧めで脚本家として参加[4]。また、間寛平の「変でもいいから攻めたものをやりたい」という依頼により、ユニットコント『寛平がまとわりつく7.5人』に脚本で参加[4]。2010年夏には『なんばグランド花月』で上演。よしもとドラマ部としての活動も行っている。主な担当番組は『千鳥のクセがスゴいネタGP』(フジテレビ)、『全力!脱力タイムズ』(フジテレビ)、『声優と夜あそび』(ABEMA)など。 KARAのファンであり、2011年11月17日放送の『アメトーーク!』に「KARA芸人」として出演した[10]。AV好きであり、年間100本前後のセルDVDを購入。2015年4月から2018年7月までDMMで連載を持ち、多数のAV男優やAV女優と対談をしていた[11]。また、AV関係者と芸人によるイベント『AVを語る深夜』を新宿ロフトプラスワンで定期的に開催。 2018年2月5日に一般人女性との入籍を発表[12]。同年7月に、親族のみで結婚式を行ったことと、妻の妊娠を発表した[13]。2020年よりWebサイト「TVマガ」で連載を持ち、ドラマが好きな著名人にインタビューをしている[14]。 2024年9月30日をもって吉本興業を退所し、「作家業を中心に頑張っていきます!」と自身のXで報告した[15]。また、退所の理由として「もうプレイヤー(芸人)として舞台に立つつもりがない」と話している[4]。 森本英樹高知県出身[2]。高知県立岡豊高等学校を卒業。中学、高校ではバスケットボール部に入部し、高校時代に全国大会に出ている。2003年度の吉本男前ランキングで8位にランクイン。 妻は大川の高校時代の先輩。1999年4月にできちゃった結婚をしていたが、2010年6月6日に行われた単独ライブにて初めて公にした[16][17]。結婚後14年間、結婚式を挙げていなかったことから、2013年1月に妻にサプライズでウエディングパーティーと人前式を実施した。長女は「musume」の名でjealkbのサポートメンバーを務めている。2020年11月1日、ロンドンブーツ1号2号の「複数号計画」始動に伴い、ロンドンブーツ3号を「襲名」する事を発表した[18]。 大川知英高知県出身[3]。高知県立高知東高等学校卒業。バスケットボール部の副キャプテンを務めていたが、公式な試合には出たことがない。シャツに短パン、蝶ネクタイがトレードマークだった時期がある。髪型は茶髪である事が多く、パーマをかけていたり、常にヘアスプレーで逆立たせている。デビューから間もなくして結婚していたが、約7年の離婚調停の末に2012年に離婚が成立した[19]。jealkbでは、主に上手のリードギターを担当。楽曲「ト或コイ」ではボーカルを務め、「ト或コイ」は2011年のjealkbランキングライブ「二十薔薇ノ推曲」でファン人気1位を獲得した。 2008年ごろよりjealkbのライブを通じて鳥山明と親交を深め、親友という間柄にあった[20]。『ドラゴンボール』のハリウッド化の話が出た際、鳥山から一番初めに相談を受けた[21]。アメリカンカジュアルウェアの収集が趣味であり、所有していたリーバイスのビンテージジャケット「S506XX」は2020年8月11日放送の『開運!なんでも鑑定団』(テレビ東京)で700万円の値がついた[22]。アメトイ収集もしており、埼玉県狭山市に倉庫を所有している。 芸風主にコント。森本と大川がおかしなシチュエーションを進め、宮地がその度にツッコミを入れる。また、ネタによっては森本もツッコミに加わるケースもある。 賞レースでの戦績キングオブコント
出演テレビ
映画
CM
DVD
イベント
単独ライブ
脚注・出典
外部リンク
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