ナジャット・ヴァロー=ベルカセム
ナジャット・ヴァロー=ベルカセム(フランス語: Najat Vallaud-Belkacem、1977年10月4日 - )は、モロッコ生まれのフランスの政治家。フランス社会党所属。 経歴モロッコの農村にて生まれる。1982年に建設労働者の父親が働いていたフランスに移住し、以降主にアミアンで育つ。ピカルディー大学、パリ政治学院で公法学の学士を取得し、卒業した後、社会党に入党。ENAを目指すも受験に二度失敗している。18歳の時にフランスの市民権を取得し、帰化している[1]。 2003年、リヨン市長を務めていたジェラール・コロンの官房秘書官となる。 2007年フランス大統領選挙にてセゴレーヌ・ロワイヤルの選挙陣営でヴァンサン・ペイヨンやアルノー・モントブールと共に代弁者を務めた。 2008年、ローヌ県議会議員に58.52%の支持を得て、当選する。同年、社会党の全国執行部員にもなった。 2012年フランス大統領選挙で社会党のフランソワ・オランドが勝利すると、2012年5月15日、第1次ジャン=マルク・エロー内閣にて女性権利大臣、政府報道官に就任。 女性権利大臣として、2013年に法制化された同性婚については擁護する姿勢を見せており[2]、同年Twitter上にて「#LesGaysDoiventDispaîratreCar(同性愛者は死ぬべき)」というハッシュタグが付けられたツイートが多数投稿された件については「私は反同性愛のツイートを非難します。我々がTwitterや反同性愛団体とともに働きかけていく事が不可欠です」と語った[3][4]。同年、モンペリエで行われたフランス初の合法同性カップルの結婚式には自身も出席した[5]。また、フランスでは原則合法となっている売春の根絶を実現したいと述べている[6] 2014年3月31日、マニュエル・ヴァルスが首相に就いてからは、第1次マニュエル・ヴァルス内閣で女性権利大臣と兼任して都市・青少年・スポーツ大臣も担当。第2次マニュエル・ヴァルス内閣では国民教育・高等教育・研究大臣に就任し、フランス第五共和政での初の女性教育相となった[7]。
エピソード
脚注
外部リンク
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