ドマゴイ・ヴィダ
ドマゴイ・ヴィダ(Domagoj Vida, 1989年4月29日 - )は、ユーゴスラビア(現クロアチア)・オシエク出身のサッカー選手。クロアチア代表。ギリシャ・スーパーリーグ・AEKアテネFC所属。ポジションはDF、MF。 経歴クラブ初期ヴィダはNKオシエクの下部組織を経て、17歳の時に同クラブのトップチームで初出場を飾り、デビュー年の2006-07シーズンに10試合に出場した。翌2007-08シーズンになると、定期的に出場機会を得て自身の能力を証明した[2]結果、国内リーグ王者NKディナモ・ザグレブが獲得に動くとの噂がたつまでになった[3]。 レバークーゼン2010年4月29日にドイツ1部のバイエル・レバークーゼンと2005年6月まで契約を締結[4]。レバークーゼンでの1シーズン目は、UEFAヨーロッパリーグ 2010-11で8試合に出場したものの、リーグ戦では2011年3月5日のVfLヴォルフスブルク戦で負傷したマヌエル・フリードリヒに代わり14分から途中出場した[5]、この1試合のみに終わった。 ディナモ・ザグレブ2011年6月14日に移籍金非公開でNKディナモ・ザグレブと契約することが発表された[6]。2012年7月25日にUEFAチャンピオンズリーグ 2012-13・予選2回戦のブルガリア1部PFCルドゴレツ・ラズグラド戦で98分に決勝点を挙げ、予選3回戦進出に貢献した[7]。 2012年9月24日にカップ戦へ向かうバスの中でビールを開けたため、バスとトップチームから追い出された。また、事件前にヴィダとアンテ・チャチッチ監督と口論をしていたことが判明[8]。事件の翌日に10万ユーロの罰金が言い渡された[9]。 ディナモ・キエフ2013年1月2日に移籍金600万ユーロでFCディナモ・キーウと5年契約を締結[10]。2月14日にUEFAヨーロッパリーグ 2012-13のFCジロンダン・ボルドー戦で移籍後初出場を飾り、1週間後のボルドーとの第2戦でもオレグ・ブロヒン監督の下で右サイドバックとして起用されたが、クラブは0-1で敗れベスト16進出を逃した。 3月3日のFCクリヴバス・クリヴィー・リフ戦でリーグ戦初出場を飾るも引き分けに持ち込まれた結果、2つ目のUEFAチャンピオンズリーグ 2013-14出場権獲得争いでFCドニプロとFCメタリスト・ハルキウに一歩リードを許す苦しい状態となった。リーグ戦出場2試合目となった3月10日のFCヴォリン・ルーツィクを2-0で破り、2013年になってからの初勝利を記録した。ヴィダは最初の公式戦3試合で右サイドバックを任されていたが、同試合からシーズン終了まで一貫してセンターバックとして起用され、イェフヘン・ハチェリディとコンビを組むこととなった。3月17日のFCヴォルスクラ・ポルタヴァ戦では、試合開始早々にアンドリー・ヤルモレンコのコーナーキックからのボールをパヴロ・レベノクとGKセルヒー・ドルハンスキーに競り勝ち、頭で移籍後初得点を挙げた。 ベシクタシュ2018年1月3日、4年半の契約でトルコのスュペル・リグに在籍するベシクタシュJKへ移籍した[11]。1月21日のスュペル・リグ第18節アンタルヤスポル戦でフル出場し、リーグデビューを果たした。2月25日のフェネルバフチェとの上位対決では移籍後初得点を挙げた[12]。 AEKアテネ2022年7月31日、2年契約でギリシャ1部のAEKアテネFCに完全移籍[13]。 代表定期的に出場したU-21代表[14]を経て、2010年5月23日にオシエクで行われたウェールズ戦でダリヨ・スルナに代わり75分からA代表初出場を果たした。3日後のエストニア代表戦 では、先発フル出場を果たした。2013年9月10日の韓国との親善試合で代表初得点を挙げた。2018 FIFAワールドカップでは、CBのレギュラーとして6試合にフル出場し最終ラインを支えたほか、準々決勝での開催国・ロシアとの一戦では延長戦に得点を決め、その後追いつかれて迎えたPK戦では4人目のキッカーとして成功するなど活躍。同国史上初のワールドカップ準優勝に貢献した。 個人成績2019年4月9日現在
代表歴出場大会
試合数
タイトル
脚注
外部リンク
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