ドイツのビールでは、ドイツで製造されるビールの概要について記す。
歴史
ゲルマン人が定住生活に入った紀元前1800年頃には、すでにビールが作られていたことが記録されている[1]。紀元前800年ごろのビールジョッキが、クルムバッハで発見されている[1]。
ドイツではビールの品質に関する条例をアウクスブルクで1156年に、エアフルトで1434年、レーゲンスブルクで1447年に公布していた[2]。これらは自治体レベルの条例であったが、1516年4月23日にバイエルン公ヴィルヘルム4世が「ビール純粋令」を公布することによって、不正を働くビール製造業者を国家レベルで取り締まったり、国家レベルでビールの品質向上を目指す世界初の食品条例となった[2]。
19世紀になると下面発酵によるラガービールが発明される[3]。アントン・ドレハー(ドイツ語版)とガブリエル・ゼードルマイル2世(ドイツ語版)とが冷蔵技術を完成させ、下面発酵ビールの醸造技術を確立[3]。1842年にはピルゼンにおいてピルスナーが完成する[3]。1873年にカール・フォン・リンデが冷凍機を発明し、冷やして飲むビール文化も定着するようになった[3]。19世紀後半になるとフランスのルイ・パスツールが「上面発酵より下面発酵の方がビールの質が落ちるのを防止する上で決定的に有利である」と主張し、こういった事情もあってビールの主流は上面発酵のエールから下面発酵のラガーへと切り替わった[4]。
1919年にバイエルンがヴァイマル共和政に参加する条件の1つにドイツ全体でのビール純粋令の採択を挙げており、これが採択されビール純粋令はドイツの国法となった[2][4]。
欧州共同体 (EC)発足にあたって、ビール純粋令は非関税障壁として問題とされ、ドイツ国外への輸出ビール、ドイツ国内への輸入ビールには適用されなくなった[5][6]。
1993年、ドイツ政府はビール純粋令をビール酒税法の一部として改めて法制化した[5]。この新しい法では、醸造に用いる酵母によって、原料を制限している[5]。
2016年時点で、ドイツ国内では若者や女性の健康志向などから「ビール離れ」が進んでいる[7]。
ドイツビールの分類
- 代表例[6]
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- 使用酵母による分類
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- 上面発酵
- 上面発酵酵母(エール酵母)によって醸造される代表的なドイツビール[6]
- 下面発酵
- 下面発酵酵母(ラガー酵母)によって醸造される代表的なドイツビール[6]
PGIに指定されたドイツビール
1912年に欧州議会で制定された地理的表示保護(Protected geographical indication、略称PGI)で認定されたドイツビールは以下の12種類[6]。
- Bayerisches Bier(バイエリシェス・ビア)
- Bremer Bier(ブレーマー・ビア)
- Dortmunder Bier(ドルトムンダー・ビア)
- Gögginger Bier(ゲッギンガー・ビア)
- Hofer Bier(ホーファー・ビア)
- Kölsch(ケルシュ)
- Kulmbacher Bier(クルムバッハ・ビア)
- Mainfranken-Bier(マインフランケン・ビア)
- Münchner Bier(ミュンヒナー・ビア)
- Reuther Bier(ロイター・ビア)
- Rieser Weizenbier(リーザー・ヴァイツェンビア)
- Wernesgrüner Bier(ウェルネスグリューナー・ビア)
エピソード・成句
- 「ビールを飲みながら政府の悪口を言うのはドイツ人の基本的な欲求だ」 - 19世紀の鉄血宰相ビスマルクの言葉。2016年4月23日のビール純粋令制定500年記念式典においてメルケル首相によって引用された[7][8]。
- 「それは我々のビールではない(Das ist nicht unser Bier.)」 - 英語慣用句の「It's not our business.」と同じで、「それは我々の知ったことではない」の意図となる[9]。
- 「ワインの次にビールはやめておけ、ビールの次にワインはお勧めだ(Bier auf Wein, dass lass sein - Wein auf Bier, das rat' ich dir.)」 - ドイツのことわざ[10][11]
- 「ビールが無ければ飲むものはない(Wer kein Bier hat, der hat nichts zu trinken.)」 - ビールを愛した宗教改革者ルターの言葉[12]。
出典
関連文献
関連項目