1842年6月11日、ベルンドルフ(現在はツルナウの一部)で聖職者の息子として生まれた。1861年、スイス連邦工科大学でルドルフ・クラウジウス、グスタフ・ゾイナー、フランツ・ルーローのもとで工学を学んだ。卒業後、 Kemptenの綿糸紡績工場、ベルリンのボルジッヒ、ミュンヘンの クラウス機関車工場で働いた。1868年にミュンヘン工業学校(Technische Hochschule)が新設されると講師の職を受けた。1872年に機械工学の教授となり、研究所を作った。この時の学生にはルドルフ・ジーゼルがいた[1][2][注釈 1]。1870年と1871年に冷凍技術に関する研究を『Bavarian Industry and Trade Journal』に発表すると、ヨーロッパの醸造メーカーの興味をひき、リンデの構想による装置の開発の共同事業が始められ、最初の商用設備は1873年に設置され、特許を取得した。
最初の特許が商業的に成功し多忙になったため、学問的な研究を中断しなければならなくなった。そのため1879年には教授の職をやめ、 Gesellschaft fur Linde’s Eismaschinen Aktiengesellschaft(リンデ製氷機会社、現在のリンデAG(de))をヴィースバーデンに設立した。事業は1880年代に発展した。効率的な冷凍装置は醸造業者に大きな利益を与え、1890年までに747台が販売された。需要は醸造業に留まらず、精肉業や冷凍倉庫業に広がった。