トランスアジア航空
トランスアジア航空(トランスアジアこうくう、英: TransAsia Airways、繁: 復興航空)は、かつて存在していた台湾の航空会社である。台湾初の民間航空会社であり、2016年時点では業界3位の中堅航空会社であった[1]。 概要1951年5月21日、台湾初の民間航空会社として台北市に設立[2]。 1958年、ハイジャックが原因と考えられた航空機事故が発生したことから運航を停止。このため業態を国際線の代理業務やケータリングに転換する。 1983年、台湾の国産実業グループの傘下入りしたことをきっかけとして、1988年、30年ぶりに自社便での国内線の運航を再開した[2]。 1992年、国際チャーター便の運航を開始し、1995年にマカオ線が就航し、本格的に国際定期路線に進出した。2009年、中国大陸への定期便運航を開始した[2]。 2011年11月10日、日台間のオープンスカイが合意されたのを受け、2012年3月25日からの夏ダイヤより台北/桃園から大阪/関西、沖縄/那覇、函館、札幌/新千歳、旭川、釧路への就航を申請した。[3]。 2012年6月28日、当社初の日本路線となる、台北/桃園 - 大阪/関西線が1日1便で就航した[4]。 2012年11月26日、同社初となるエアバスA330-300型機を、フランス・トゥールーズで受領[5]。2日間かけて台北松山空港へフェリーフライトされたのち、同年12月25日に台北/桃園 - 札幌/新千歳線に投入[6]。 2013年9月26日、台北/桃園 - 東京/成田線が1日1便で就航した[7]。 2013年10月中旬、航空燃油価格の高騰と格安航空会社の出現などの影響により、シンガポール線を運航停止。 2013年11月、格安航空会社「全民航空」を設立。2014年1月23日、「全民航空」の名称について、公募で「V エア」(台湾名・威航)に決定したと発表[8]。 2014年7月23日、高雄国際空港発、澎湖島馬公空港行きのGE222便が、台風10号による天候不良の影響の上にパイロットの過労によるヒューマンエラーが重なり、馬公空港で滑走路を目視出来ないまま高度を下げすぎ、澎湖県湖西郷西溪村に墜落した(トランスアジア航空222便着陸失敗事故)。 2015年2月4日、GE235便(台北松山→金門、ATR-72型機)が離陸直後にエンジンに異常が発生。異常発生時の緊急手順を怠り必要な是正措置を実施しなかったこと、パイロットの対応ミスにより基隆河に墜落、43名が死亡、17名が負傷した(トランスアジア航空235便墜落事故)。 2016年8月9日、V Airの10月1日をもっての全面運航停止と同社との合併を発表。同年9月30日までは一部早期運航停止路線を除き運航予定。同時にV Airから台北 - 福岡、チェンマイ線は8月末までに新たな運航を申請し、引き継ぎ就航予定[9]。同年8月27日に、上記統合案を撤回。V Airを存続させたうえで、10月1日から1年間の休業に変更した[10]。 2016年11月21日、22日のトランスアジア航空便全ての運航を停止すると発表した[11][12]。 2016年11月22日午前に開いた取締役会で、運航の終了と会社の解散を決議した[13]。発券済みの航空券に対しては、払い戻しや他社便への振り替えを実施した[14]。また、林明昇董事長らに対し、インサイダー取引があったとして調査を進めている[15]。 金門 - 澎湖線を除く運航停止路線については、行政院の決定で12月1日から2017年の春節まで、中華航空(チャイナエアライン)(国内線は、子会社のマンダリン航空)が運航を引き継ぐこととなった[16][17]。 定期便国内線国際・両岸線2016年11月21日現在[18]
保有機材
2016年11月21日現在[19]
マイレージサービス
事故
トランスアジア航空536便オーバーラン事故
関連項目脚注
外部リンク |
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