基隆河
かつては砂金採集の場としても有名であった。また、基隆河で砂金が取れたことが契機となり、上流の九份での金の採鉱、さらには金瓜石鉱山の発見に至った。平渓線沿線の渓谷は日本統治時代には「平渓耶馬渓」とも言われ、最近は、日本の鉄道ファンの間で「台湾の保津峡」と呼ばれている。[1] 治水基隆河は河道が湾曲し、また上流の平渓山区が台湾で最も雨量が多い地区であるため、大雨のたびに下流で水害を引き起こしてきた。そのため1991年より松山、内湖、南港で河道直線化工事が実施された。この結果下流域での洪水被害は減少したが、満潮時の逆流や、中流域での洪水被害という新しい災害を誘発し、2003年からは瑞芳で員山子分洪道という分水路を建設し、過剰な流水を東シナ海に直接排出する工事を施工している。 支流
関連項目
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