トニー・タラスコ
アントニー・ジャチントー・タラスコ(Anthony Giacinto "Tony" Tarasco, 1970年12月9日 - )は、アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク市出身の元プロ野球選手(外野手)、野球指導者。右投左打。 フィラデルフィア・フィリーズなどでプレーした遊撃手であるジミー・ロリンズは従弟にあたる。 経歴・人物1988年のMLBドラフト15巡目(全体372位)でアトランタ・ブレーブスから指名され、プロ入り。1993年4月30日にメジャーデビュー。1995年にモントリオール・エクスポズ、1996年にボルチモア・オリオールズへ移籍した。 オリオールズ時代の1996年に大きなアクシデントを経験する。ニューヨーク・ヤンキースとのアメリカンリーグチャンピオンシップシリーズの第1戦8回裏、オリオールズの1点リードという場面で、守備固めとして外野を守っていたタラスコはデレク・ジーターの放った右翼への大飛球をフェンス際で捕球しようとしたが、外野席最前列から身を乗り出した観客の少年(ジェフリー・マイヤー)にボールを横取りされてしまった。観衆による守備妨害で打者アウトとすべきであったが、本塁打と判定された。タラスコはこれに猛抗議するも覆らず、オリオールズはこの試合に敗れた。 →詳細は「en:Jeffrey Maier incident」を参照
その後、1998年にシンシナティ・レッズ、1999年にヤンキースと渡り歩き、2000年にハワード・バトルと共に阪神タイガースに入団した。斧で木を伐採するというトレーニング方法がランディ・バースと同じということで、バースの再来と呼ばれ大きく期待されていた[1]。ポジションは主に右翼手であり、陽気な性格と強肩が魅力であった。キャンプ・オープン戦では、逆方向に流し打つシュアなバッティングと俊足、好守を見せ打率3割は確実といわれていたが、シーズンが始まると打って変わって強引に引っ張るプルヒッターと化し打率は低迷。後半戦開幕戦にサヨナラ安打を放ち復調の兆しを見せるが、結局打率.239、19本塁打、57打点と期待外れの成績に終わり、シーズン終了後に解雇となった。守備は良く、広い甲子園の守りを強固にしていたが、打撃の低迷ぶりが響き残留へのプラス材料にはならなかった。 中堅手の新庄剛志とは仲が良く、新庄の赤のリストバンドをつけるなどしている姿が見られた。アメリカに戻った2001年にはスプリングトレーニングでニューヨーク・メッツに移籍した新庄と再会している。 2002年にニューヨーク・メッツでメジャーに復帰したが、大麻所持が発覚して解雇され[2]、そのまま引退した。 引退後はワシントン・ナショナルズのマイナー組織で守備走塁コーチを務め、その間にブライス・ハーパーを指導した[3]。2013年からはナショナルズの一塁ベースコーチ及び外野守備コーチに就任することとなり[4]、2015年まで務めた。 2016年から2018年まではサンディエゴ・パドレス傘下マイナー球団の外野守備走塁巡回コーチ、2019年はパドレス傘下のA+級レイクエルシノア・ストームの監督を務めた。 2021年よりメッツの一塁ベースコーチ及び外野守備走塁コーチに就任したが[5]、同年限りで解任された。 詳細情報年度別打撃成績
記録
背番号
脚注
関連項目外部リンク
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