ホセ・アゾーカー
ホセ・エンリケ・アゾーカー(José Enrique Azócar, 1996年5月11日 - )は、ベネズエラのスクレ州ギリア出身のプロ野球選手(外野手)。。右投右打。現在は、フリーエージェント(FA) メディアによっては「アゾカー」と表記されることもある。 経歴プロ入りとタイガース傘下時代2012年10月にアマチュア・フリーエージェントでデトロイト・タイガースと契約してプロ入り。 2013年、傘下のルーキー級ベネズエラン・サマーリーグ・タイガースでプロデビュー。62試合に出場して打率.234、16打点、5盗塁を記録した。 2014年もルーキー級ベネズエラン・サマーリーグ・タイガースでプレーし、65試合に出場して打率.340、1本塁打、36打点、13盗塁を記録した。 2015年はルーキー級ガルフ・コーストリーグ・タイガースとA-級コネチカット・タイガースでプレーし、2球団合計で58試合に出場して打率.300、29打点、6盗塁を記録した。 2016年はA級ウェストミシガン・ホワイトキャップスでプレーし、129試合に出場して打率.281、51打点、14盗塁を記録した。 2017年はA+級レイクランド・フライングタイガースでプレーし、119試合に出場して打率.220、3本塁打、37打点、12盗塁を記録した。 2018年はA級ウェストミシガンとA+級レイクランドでプレーし、2球団合計で109試合に出場して打率.297、2本塁打、50打点、11盗塁を記録した。 2019年はAA級エリー・シーウルブズでプレーし、130試合に出場して打率.242、1本塁打、44打点を記録した。オフにはアリゾナ・フォールリーグに参加し、メサ・ソーラーソックスに所属した。 2020年は新型コロナウイルスの影響でマイナーリーグの試合が開催されなかったため、公式戦の出場は無かった。オフの11月2日にFAとなった[1]。 パドレス時代2020年11月17日にサンディエゴ・パドレスとマイナー契約を結んだ[1]。 2021年は傘下のAA級サンアントニオ・ミッションズとAAA級エルパソ・チワワズでプレーし、2球団合計で128試合に出場して打率.281、9本塁打、70打点、32盗塁を記録した。 2022年4月7日にメジャー契約を結んで開幕ロースター入りし[2]、同日のアリゾナ・ダイヤモンドバックスとのシーズン開幕戦にて9回表に代走でメジャーデビュー[3]。この年メジャーでは98試合に出場して打率.257、10打点、5盗塁を記録した[1]。 2023年は出場試合数こそ55試合と減少したものの、2本塁打、9打点、キャリアハイとなる8盗塁を記録した[1]。 2024年も開幕ロースター入りを果たし[4]、主に守備要員としてメジャーで61試合に出場したが、6月下旬以降はAAA級エルパソに降格した。フェルナンド・タティス・ジュニアの故障者リストからの復帰に伴い、9月2日にDFAとなった[5]。 メッツ時代2024年9月5日にウェイバー公示を経てニューヨーク・メッツに移籍[6]。その後オプションでAAA級シラキュース・メッツに送られた。この年は61試合に出場と、前年より出場試合数は増加した一方で、長打は二塁打を2本記録しただけと長打力に欠け、打率も.219と少し落とした[1]。また、2打点、5盗塁を記録した[1]。2025年の開幕前に1度40人枠から外れたが、4月17日にアクティブ・ロースター入りした[7]。昇格後は12試合に出場したが18打数5安打、打率.278の成績で5月24日にヘネシス・カブレラと共にDFAとなり[8]、4日後に自由契約となった[9]。 ブレーブス時代2025年5月30日にアトランタ・ブレーブスと契約を結び、同日中にAJ・スミス=ショウバーの負傷者リスト入りに伴ってメジャーに昇格した[10]。昇格後は2試合に出場したが1安打も放つことが出来ず、6月16日にスチュアート・フェアチャイルドの負傷者リストからの復帰に伴ってDFAとなり[11]、3日後にFAとなった[12]。 詳細情報年度別打撃成績
ポストシーズン打撃成績
年度別守備成績
背番号
脚注
関連項目外部リンク
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