デライト (駆逐艦・初代)
デライト (HMS Delight, H38) はイギリス海軍の駆逐艦。D級。 艦歴1930年の海軍計画により1931年2月2日に発注され、ゴーヴァンのフェアフィールド社で1931年4月22日に起工。1932年6月2日に進水し、1933年1月31日に竣工。兵器、弾薬、通信設備といった海軍本部が供給する物を除いた費用は22万9378ポンドであった[1]。 慣熟訓練後、1933年4月24日まで「デライト」はマークIX魚雷の試験に使用された。「デライト」は地中海の第1駆逐艦戦隊に加わり、1933年9月から11月にはペルシャ湾へ派遣された。1934年9月3日から10月25日まで、中国艦隊第8(後に第21)駆逐群での任務のための修理をポーツマス工廠で受け、1935年1月に任地に着いた。アビシニア危機の際、1935年9月から11月まで紅海で地中海艦隊に加えられた。「デライト」は9月19日にアデンに到着し、それからアレクサンドリアに移って地中海艦隊とともに3ヶ月間活動した。12月には本国艦隊に転属となり、12月30日にポーツマスに着いた[2]。 「デライト」は1940年1月27日まで修理を行い、それから第3駆逐艦戦隊に編入された。4月8日、悪天候のため損傷し修理のため帰投した[2]。ノルウェーの戦い中、「デライト」は航空機補充のため4月25日にスカパ・フローに戻った空母「フューリアス」を護衛した。5月1日、Åndalsnesからの撤退の際兵員を第18巡洋艦戦隊の巡洋艦「マンチェスター」および「バーミンガム」へ輸送。「デライト」は5月27、28日にナルヴィク奪還を支援し、翌日、ドイツ軍上陸との報告の調査のためボードーへ派遣された。続く二夜、「デライト」は他の駆逐艦7隻とともにボードーからイギリス軍を撤収させた。6月7、8日、「デライト」はナルヴィクから撤退する兵員を運ぶ船団を護衛した(アルファベット作戦)[3]。 6月13日に仮装巡洋艦「Scotstoun」がドイツ潜水艦U-25に雷撃されると、「デライト」はその救援に向かった。6月21日から7月24日までロサイスで過熱器の管の交換を行う。7月29日に命令に反して日中にポートランド港を出港した「デライト」はシェルブールのフライヤレーダーに捕捉された。「デライト」はポートランド岬沖約20マイルで16機のドイツ軍機による攻撃を受け、爆弾1発が命中。火災が発生し続いて爆発が起きた。「デライト」は同日夕刻に沈み、乗員の死者は6名であった[2]。 「デライト」は現在いくつかに壊れて最大62メートルの深さに沈んでいる。中央部は逆さまになっており、艦首はちぎれ、艦尾は直立している[4]。「デライト」の残骸は軍事遺物保護法 (Protection of Military Remains Act 1986) により保護地域に指定されているため、許可無くその中に入ることや破損させることは違法である[5]。 脚注
参考文献
外部リンク |