テラモーンテラモーン(古希: Τελαμών, Telamōn)は、ギリシア神話に登場する英雄である。サラミース島の王で、カリュドーンの猪狩り[1][2]、アルゴナウタイ[3][4][5]、ヘーラクレースのトロイア攻略に参加した[6][7]。長母音を省略してテラモンとも表記される。 アイギーナ島の王アイアコスとエンデーイス(スケイローンの娘)の子で、ペーレウスと兄弟。ポーコスとは異母兄弟である。一説ではテラモーンはキュクレウスの娘グラウケーとアクタイオスの子で、ペーレウスとは友人だったとされる[8]。グラウケーはテラモーンの最初の妻ともいわれる[9]。アルカトオスの娘ペリボイアとの間に大アイアース、トロイアの王女ヘーシオネーとの間にテウクロス[10]、また一説にトロイアの女テアーネイラとの間にトラムベーロスをもうけた[11][12]。大アイアースとテウクロスはトロイア戦争の英雄である。 神話ポーコス殺害と亡命神話によるとテラモーンとペーレウスは競技に優れたポーコスをねたんで、ポーコスの殺害を計画した。すなわち競技の最中にポーコスの頭に円盤を投げつけて殺した後、遺体を隠すというものである。実際に殺害を実行したのはテラモーンであり、2人は森の中にポーコスの遺体を隠したが、殺害が露見し、アイギーナ島を追放された[10]。 このため、テラモーンは母方の曽祖父にあたるキュクレウス王を頼ってサラミース島に亡命し、王の娘グラウケーと結婚した[9]。そしてキュクレウスが後継者が生まれないまま死んだときに、王国を譲り受けた[10]。テラモーンもまた子どもに恵まれなかったが、妻との死別後、アルカトオスの娘ペリボイア(ペロプスの孫にあたる)と再婚すると、2人の間に大アイアースが生まれた[9]。この息子にアイアースと名付けたのは、ヘーラクレースがテラモーンに息子が授かるように祈るとワシが現れたことによる、という話が伝わっている[10][注釈 1]。 トロイア攻略その後、テラモーンはヘーラクレースに従ってトロイア攻略に参加した。テラモーンはこの戦争で城壁を越えて一番乗りを果たす活躍をしたが、アポロドーロスによるとヘーラクレースは一番乗りを奪われたことに腹を立て、テラモーンを殺そうと考えたという。殺意を感じたテラモーンがとっさにその場に転がっていた石を集めだしたので、ヘーラクレースがテラモーンに何をしているのかと尋ねると、偉大なるヘーラクレースのための祭壇を作っているのだと答えた。ヘーラクレースはこの返答に満足して殺すのをやめた。戦争がヘーラクレースの勝利で終結すると、テラモーンは報酬として王女ヘーシオネーを与えられ[6][7]、この女性との間にテウクロスをもうけた。またテアーネイラもこの戦争で得た捕虜だった。 晩年後に2人の息子たちはサラミース島の軍勢を率いてトロイア戦争に出兵したが、大アイアースはアキレウスの鎧をめぐる争いが原因で非業の死を遂げた。テラモーンはテウクロスが帰国したさい、大アイアースの死に怒り、テウクロスを追放した[13]。そしてテウクロスが連れ帰った大アイアースの遺児エウリュサケースに王国を継がせた。一方、テウクロスはキュプロス島に渡り、サラミース市を創建した[14][15]。 なお、サラミース島の王権はエウリュサケースの孫のピライオスによってアテーナイに譲渡されたと伝えられている[16][注釈 2]。 系譜
注釈・脚注注釈脚注
参考文献
関連項目 |
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