テッサーテッサー(Tessar)はカール・ツァイスが製品化した単焦点写真レンズ、およびその構造の名称である。カール・ツァイスを代表する名玉の一つ[1]。 開発1902年[2]4月、パウル・ルドルフがエルンスト・ヴァンデルスレプの協力を得て考案した[3]。F値は発表当時F6.3であった[2]。ルドルフはF値の向上に否定的であったが、ヴァンデルスレプによりF4.5、ウィリー・ウォルター・メルテによりF3.5、さらにF2.8まで大口径化された[4]。ツァイスの分類では、F6.3のテッサーがシリーズIIB[5][2]、製版用のアポテッサーはシリーズVIII、F4.5やF3.5の大口径テッサーはシリーズIC[5]とされた。 名称は構成レンズ数が4枚であることからギリシア語の4[1](τέσσαρες: Tessares [注釈 1])から来ている。 特徴カールツァイスによればテッサーはウナーの前群とプロターの後群を合わせた3群4枚構成、とされているが、3群3枚凸凹凸のトリプレットを発展させ後玉を凹凸2枚の貼り合わせレンズとしたもの、とも見ることができる[4][6]。 特許上は2群と3群の間に絞りがある。多くのバリエーションがあるが標準的な設計では前玉から順にSK4、FL4、KzF2、SK10[7]。1群と2群の間に絞りがあるものをエルンスト・ライツ(現ライカ)のエルマーにちなんで「エルマー型」と区別することもあるが、エルマー銘でも2群と3群の間に絞りがあるものもあり、厳密にこだわるほどのものでもない。 テッサーは当時広く利用されていたトリプレットなど他の構成と比較して歪曲の少なさ、ボケの美しさ、何よりピント面のシャープさなど驚異的な高画質が特徴である。カールツァイスは「あなたのカメラの鷲の目」[4](Das Adlerauge Ihrer Kamera )というコピーでテッサーを宣伝し、実際に世界中の写真家からそう呼ばれるようになった。 テッサーの登場によって多くの人々が「普通によく写るレンズ」を手に入れたと言われる。もっとも当初のテッサーは高級レンズであり、多くの人々の手に届くものではなかった。本当の意味で多くの人々が「普通によく写るレンズ」を手にしたのはテッサー構成のレンズが普及品となった20世紀半ば以降であり、テッサーの発明から実に50年ほどを要した。 反面で大口径化への限界があり、20世紀半ば以降はレンズの設計および製造技術の進歩でより複雑なレンズ構成がテッサー構成に代わって主流となっていった。しかしテッサー構成はそのシンプルさゆえに廉価で画質が良くコンパクトに収まる特徴が評価され、21世紀に至っても適合する用途では利用され続けている。 生産テッサーは開発直後からカールツァイスにより生産され、後述の製品一覧の通り膨大なバリエーションが存在する。これらカールツァイスのテッサーには個別に番号が振られており、製造年などが追跡可能である。 1903年[2]アメリカ合衆国のボシュロム[8][4]がパテントを購入しアメリカで製造を開始、未だコダックにレンズ製造部門がない時代でありアメリカカメラ界に貢献した[2]。他にイギリスのロッス[8][4][9]、フランスのエ・クラウス[4][8]でもライセンス生産されている。特にクラウステッサーのみは「クラウス・ツァイス・テッサー」とツァイスの銘も入れられ、一時フランス製高級カメラのほとんどに装着されていた[8]。 戦後は東西両方のツァイスで製造された。当初西側ではカール・ツァイスの子会社「ツァイス・オプトン」にて生産されたが当時の世評は低かった[10]。「カール・ツァイス」銘に戻ってからは再び高い評価を受けている[11]。 派生1919年[12]にウィリー・ウォルター・メルテがテレテッサー(Tele-Tessar )を開発し、その後望遠レンズの多くにもこの名称が使用された。また色収差補正をアポクロマートにしたものはテレアポテッサー(Tele-Apo-Tessar )の名称を使用する。またメルテは明るく生物の撮影にも適するビオテッサー(Bio-Tessar )を1925年[12]に開発している。これらは本来の3群4枚構成からは逸脱することもある。レンズの構成枚数が少なくレンズエレメントの空間が比較的長いので軽量コンパクトになる。ズーム・レンズでコンパクトな製品にはバリオテッサー銘をつけるようになっている。 他社での派生テッサーは他のレンズメーカーにも多大な影響を与え、コピーや類似したレンズが数多く造られた[3]。上述のライツ エルマーをはじめ、フォクトレンダー スコパーやコダック エクターなど、当時のトップメーカーを代表するレンズの多くが、テッサー構成であった。また20世紀後半に大量に生産された大衆向けコンパクトカメラでも、各社で生産されたテッサー構成のレンズが広く利用された。 これらカールツァイス以外によって生産された3群4枚テッサー構成のレンズはまとめてテッサータイプまたはテッサー型と呼ばれており、カールツァイス製テッサー以上に膨大な数が存在する。 製品一覧コンタフレックス(Contaflex )用アルファ、ベータ、プリマを除いたシリーズ全てがテッサーを固定装着する。 →詳細は「コンタフレックス § 135フィルム使用カメラ」を参照
コンタフレックス126(Contaflex126 )用→詳細は「コンタフレックス § 126フィルム使用カメラ」を参照
コンタレックス(Contarex )マウント→詳細は「コンタレックス」を参照
コンタックス(Contax )マウント→詳細は「コンタックス § レンジファインダーのコンタックス」を参照
コンタックスRTS(CONTAX RTS )マウント→詳細は「コンタックス § コンタックス・ヤシカマウントカメラ」を参照
コンタックスN(CONTAX N )マウント→詳細は「コンタックス § Nシステム用レンズ」を参照
コンタックス645(CONTAX 645 )マウント→詳細は「コンタックス § コンタックス645」を参照
コンタックス(CONTAX )デジタルカメラ用→詳細は「コンタックス § コンパクトデジタルカメラ」を参照
エクサクタマウント→詳細は「エクサクタマウントレンズの一覧 § カール・ツァイス」を参照
グラフレックスXLシリーズ用
ハッセルブラッド1600F/1000FマウントハッセルブラッドVマウント→詳細は「ハッセルブラッドのカメラ製品一覧 § ハッセルブラッドVシステム」を参照
ハッセルブラッド特殊カメラ用→詳細は「ハッセルブラッドのカメラ製品一覧 § 特殊フィルム使用カメラ」を参照
ハイドスコープ用フランケ&ハイデッケ(現ローライ)が発売したステレオカメラ。 →詳細は「ローライ § 三眼レフステレオカメラ」を参照
イコンタシリーズ用→詳細は「イコンタ」を参照
イコフレックスシリーズ用→詳細は「イコフレックス」を参照
ロジテックWebカメラ用日本でロジクールとして知られる米国企業であり、日本のロジテックとは無関係。
M42マウント→詳細は「M42マウントレンズの一覧 § カール・ツァイス」を参照
ノキア携帯電話用
レチナ用→詳細は「レチナ」を参照
RMSマウント
ローライドスコープ用フランケ&ハイデッケ(現ローライ)が発売したステレオカメラ。 →詳細は「ローライ § 三眼レフステレオカメラ」を参照
ローライフレックス6×6cm判二眼レフカメラ用ローライフレックス・シリーズの代表的レンズの一つ。プラナーが出てからは普及版のローライフレックスTに装着された。ローライマジックシリーズも装着する。 →詳細は「ローライ § 二眼レフカメラ」を参照
ローライフレックスSL35/SL2000シリーズ用ローライ35シリーズ用当初はローライ35シリーズの看板レンズであり、ゾナー40mmF2.8を装着したローライ35Sが出てからも普及版のローライ35T、ローライ35TEとなって継続販売された。 →詳細は「ローライ § ローライ35シリーズ」を参照
ヤシカコンパクトカメラ/京セラコンパクトカメラ用
大判用/特殊用ツァイス・アナスチグマットとしてはシリーズIIBの扱いであったので初期の製品にはBの文字が残って「Bテッサー」と俗称され[2]。F4.5やF3.5に大口径化された製品はシリーズIC[5]で「Cテッサー」と俗称された[5]。製版用のプロセスレンズとして開発されたアポクロマティック・テッサーはシリーズVIII (シリーズ 8 )。 シリーズIIBいわゆる「Bテッサー」で解像力が鋭く包括角度も広いなど非常に優秀なことで知られる[2][13]。
シリーズICいわゆる「Cテッサー」[5]で、「Bテッサー」と比較すると明るいため高速シャッターが切れる。
シリーズVIII (シリーズ 8)製版用プロセスレンズとして開発された、アポクロマート補正をなされたレンズで、ニコンのアポ・ニッコールと双璧をなす。オプションの特殊形状の絞りやシート・フィルターを差し込むためのウォーターハウス型絞りスロットが全品種に備わる。絞りは多数枚あり、完全円形絞り。同名製品でも製造年代により硝材がかなり異なり、初期製品は第一群の最前面のレンズがとても曇りやすく磨いても3日で曇りだしてくるが、中期以降の製品ではそのようなことはなくなった。製版用に開発されたレンズのため、設計基準倍率は等倍(1:1) なので一般マクロレンズとしての利用でも高性能である。カラー製版を考慮して設計されているので、初期製品からすでにカラーバランスが最適化されている。一般的にアルファベット文化圏の製版レンズは解像力が低くなりがちだが、アポテッサーは総じて高解像力である。
マクロ・テッサーカール・ツァイス・イェーナ製。
S-テッサー接写用に開発された物や産業用のレンズなどであり、フィルム使用の複写用、マイクロフィルム製作用、通常の接写用、画像投影用などの品目がある。ドイツが東西に分かれている時に、東ドイツのカール・ツアイス・イエーナで製造された物と、西側のオーバーコッヘンにて制作された物がある。 S-テッサー の「S」はドイツ語の「Sonder」(英:Special )に由来する。民生用の物は後にレンズ・コーティング技術の向上により、大口径化のしやすいS-プラナー後のマクロプラナーに置き換えられていった。
無印・テッサー
関わった設計者脚注注釈
出典
参考文献
関連項目 |