『チャップリンの失恋 』(1915年 )で小さな放浪者 (英語版 ) を演じたチャップリン。
チャールズ・チャップリンの映画作品一覧 (チャールズ・チャップリンのえいがさくひんいちらん)では、イギリス 出身の俳優 で映画監督 のチャールズ・チャップリン の映画作品を一覧としてまとめる。チャップリンはサイレント映画 の時代に国際的人気を博したコメディアン で、小さな放浪者 (英語版 ) のキャラクターを演じたことで知られている。チャップリンは1914年 から1967年 までに82本の公式映画に出演・監督したが、それ以外にも未完成及び未公開の作品、再編集された作品、カメオ出演 した他監督の作品が存在する。
公式映画
1964年 、チャップリンは著書『チャップリン自伝』を出版した際に、80本の映画からなる公式のフィルモグラフィーを確立した。その3年後にはチャップリンの最後の映画となる『伯爵夫人 』(1967年)を発表し、1971年 に映画史家のウノ・アスプランドが同作を含めた81本のフィルモグラフィーを作成した。2010年 には失われた映画 と考えられていた初期の出演作品『泥棒を捕まえる人 』(1914年)のフィルムが発見され、それによりチャップリンの公式映画は合わせて82本となった[ 2] 。
特記がない限り、以下の表に示すタイトルや公開年月日、クレジット、備考欄の内容などは、『チャップリン自伝』の「作品リスト」、映画史家デイヴィッド・ロビンソン (英語版 ) による伝記『チャップリン』下巻の「フィルモグラフィー」を出典とする。
キーストン社時代(1914年)
1913年 、舞台芸人をしていたチャップリンはマック・セネット のキーストン社 と契約して映画界入りした。チャップリンは同社で36本の映画に出演し、『恋の二十分 』からは監督や脚本も担当し始めた。特に記載がない限り、すべての作品はフィルムの長さが1リールである。
公開年月日
クレジット
備考
監督
脚本
製作
作曲
役名
1914年2月2日
No
No
No
No
ペテン師
1914年2月7日
No
No
No
No
小さな放浪者
最初に観客の前で小さな放浪者の扮装を披露した作品。教育映画と合わせて1リールを成すスプリット・リールとして公開。
1914年2月9日
No
No
No
No
小さな放浪者
別邦題は『犬の為め』『メーブルの困難』。
1914年2月19日
No
No
No
No
警官
2010年にフィルムが発見された[ 2] 。
1914年2月28日
No
No
No
No
女たらし(小さな放浪者)
1914年3月2日
No
No
No
No
新参者(小さな放浪者)
1914年3月9日
No
No
No
No
ほろ酔いの踊り手(小さな放浪者)
1914年3月16日
No
No
No
No
酒飲み(小さな放浪者)
別邦題は『彼の好みの気晴らし』。
1914年3月26日
No
No
No
No
ヘルパス卿
1914年4月4日
No
No
No
No
下宿人(小さな放浪者)
1914年4月18日
No
No
No
No
悪漢
2リール。
1914年4月20日
恋の二十分 Twenty Minutes of Love
Yes
Yes
No
No
スリ(小さな放浪者)
1914年4月27日
No
No
No
No
ウェイター(小さな放浪者)
2リール。別邦題は『キャバレー御難の巻』[ 6] 。
1914年5月4日
Yes
Yes
No
No
ほろ酔いのホテル客(小さな放浪者)
別邦題は『つらあて』[ 7] 。
1914年5月7日
Yes
Yes
No
No
妻
1914年6月1日
No
No
No
No
求婚者(小さな放浪者)
1914年6月4日
Yes
Yes
No
No
追剥ぎ
メーベル・ノーマンド と共同監督。公式映画で唯一の失われた映画 。
1914年6月11日
No
No
No
No
レフェリー
2リール。別邦題は『デブの選手』。
1914年6月13日
No
No
No
No
ほろ酔いの厄介者
1914年6月20日
Yes
Yes
No
No
メーベルの夫(小さな放浪者)
1914年7月9日
Yes
Yes
No
No
歯科医の助手(小さな放浪者)
1914年8月1日
Yes
Yes
No
No
道具方(小さな放浪者)
1914年8月10日
Yes
Yes
No
No
画家(小さな放浪者)
1914年8月13日
Yes
Yes
No
No
小さな放浪者
観光映画と合わせて1リールを成すスプリット・リールとして公開。
1914年8月27日
Yes
Yes
No
No
映画俳優(小さな放浪者)
別邦題は『男?女?』。
1914年8月31日
Yes
Yes
No
No
チャーリー(小さな放浪者)
1914年9月7日
Yes
Yes
No
No
陽気に騒ぐ男
1914年9月24日
Yes
Yes
No
No
雑役夫(小さな放浪者)
1914年10月10日
Yes
Yes
No
No
女たらし(小さな放浪者)
1914年10月26日
Yes
Yes
No
No
ウェイター(小さな放浪者)
2リール。別邦題は『チャップリンのパン屋』。
1914年10月29日
Yes
Yes
No
No
貧乏な自動車レース好きの男(小さな放浪者)
1914年11月7日
Yes
Yes
No
No
ピアノ運搬人(小さな放浪者)
1914年11月9日
Yes
Yes
No
No
夫(小さな放浪者)
2リール。
1914年11月14日
醜女の深情け Tillie's Punctured Romance
No
No
No
No
都会のペテン師、チャーリー
6リール。監督はマック・セネット、主演はマリー・ドレスラー 。別邦題は『チャップリンの百万長者』[ 8] 。
1914年12月5日
Yes
Yes
No
No
夫(小さな放浪者)
別邦題は『メーベルとチャップリン』。
1914年12月7日
Yes
Yes
No
No
弱あご(小さな放浪者)
2リール。
エッサネイ社時代(1915年 - 1916年)
1915年 、チャップリンはエッサネイ社 に移籍し、15本の映画に監督・主演した。特に記載のない限り、すべての作品はフィルムの長さが2リールである。
公開年月日
クレジット
備考
監督
脚本
製作
作曲
役名
1915年2月1日
Yes
Yes
No
No
映画のエキストラ(小さな放浪者)
1915年2月15日
Yes
Yes
No
No
陽気に騒ぐ男(小さな放浪者)
1915年3月11日
Yes
Yes
No
No
大望を抱いた拳闘家(小さな放浪者)
別邦題は『チャップリンの珍拳闘』『チャムピオン』。
1915年3月18日
Yes
Yes
No
No
チャーリー(小さな放浪者)
1リール。別邦題は『チャップリンのいたずら』。
1915年4月1日
Yes
Yes
No
No
求婚者、偽伯爵(小さな放浪者)
別邦題は『チャップリンのローマンス』。
1915年4月11日
Yes
Yes
No
No
小さな放浪者
1915年4月29日
Yes
Yes
No
No
小さな放浪者
1リール。別邦題は『チャップリンの海水浴』。
1915年6月21日
Yes
Yes
No
No
壁紙張の見習い職人(小さな放浪者)
1915年7月12日
Yes
Yes
No
No
チャーリー / 女性(小さな放浪者)
1915年8月9日
Yes
Yes
No
No
掃除番(小さな放浪者)
1915年10月4日
Yes
Yes
No
No
チャーリー(小さな放浪者)
1915年11月20日
Yes
Yes
No
No
ペスト氏 / ラウディ氏
別邦題は『チャップリンの芝居見物』。
1915年12月18日
Yes
Yes
No
No
ダーン・ホウザリー
別邦題は『珍カルメン』。1916年4月22日、レオ・ホワイト が追加撮影したシーンを入れて4リールに拡大した再編集版が、チャップリンの承認なしに公開された。
1916年5月27日
Yes
Yes
No
No
前科者(小さな放浪者)
別邦題は『チャップリンの改心』。
1918年8月11日
Yes
Yes
No
No
雑役夫(小さな放浪者)
別邦題は『チャップリンの義侠』。チャップリンがエッサネイ社を退社したあと、同社が『チャップリンの悔悟』と未完成の『生活』の数シーンに、レオ・ホワイトが監督したシーンを加えて再編集した作品。チャップリンは承諾していないが、自伝のフィルモグラフィーに含めている。
ミューチュアル社時代(1916年 - 1917年)
1916年 、チャップリンはミューチュアル社 (英語版 ) と契約を結び、12本の映画に監督・主演した。すべての作品はフィルムの長さが2リールである。
公開年月日
クレジット
備考
監督
脚本
製作
作曲
役名
1916年5月15日
Yes
Yes
Yes
No
金のない客(小さな放浪者)
別邦題は『チャップリンのエスカレーター』。
1916年6月12日
Yes
Yes
Yes
No
消防夫(小さな放浪者)
1916年7月10日
Yes
Yes
Yes
No
流しの演奏家(小さな放浪者)
別邦題は『チャップリンとジプシー』。
1916年8月7日
Yes
Yes
Yes
No
酔っ払い
別邦題は『チャップリンの大酔』。
1916年9月4日
Yes
Yes
Yes
No
仕立て屋の見習い(小さな放浪者)
1916年10月2日
Yes
Yes
Yes
No
質屋の店員(小さな放浪者)
別邦題は『チャップリンの質屋』[ 13] 。
1916年11月13日
Yes
Yes
Yes
No
道具方の助手(小さな放浪者)
別邦題は『チャップリンの道具方』[ 14] 。
1916年12月4日
Yes
Yes
Yes
No
スケート好きなウェイター(小さな放浪者)
1917年1月22日
Yes
Yes
Yes
No
警官になる放浪者(小さな放浪者)
1917年4月16日
Yes
Yes
Yes
No
鉱泉に来たアル中の紳士(小さな放浪者)
1917年6月17日
Yes
Yes
Yes
No
移民(小さな放浪者)
1917年10月22日
Yes
Yes
Yes
No
脱獄囚(小さな放浪者)
ファースト・ナショナル社時代(1918年 - 1923年)
1918年 から1922年 にかけて、チャップリンは自前の映画スタジオのチャップリン・スタジオ (英語版 ) で9本の映画を作り、それらをファースト・ナショナル社 (英語版 ) の配給で公開した。
公開年月日
クレジット
備考
監督
脚本
製作
作曲
役名
1918年4月14日
Yes
Yes
Yes
Yes
小さな放浪者
3リール。『チャップリン・レヴュー』での再編集のために音楽を作曲。
1918年9月29日
Yes
Yes
Yes
No
小さな放浪者
ハーフリール。
1918年10月20日
Yes
Yes
Yes
Yes
新兵(小さな放浪者)
3リール。『チャップリン・レヴュー』での再編集のために音楽を作曲。別邦題は『チャップリンの兵隊さん』。
1919年5月15日
Yes
Yes
Yes
Yes
農場のよろず雑用係(小さな放浪者)
3リール。1974年 の再公開のために音楽を作曲[ 15] 。
1919年12月15日
Yes
Yes
Yes
Yes
父(小さな放浪者)
2リール。1973年 の再公開のために音楽を作曲[ 15] 。
1921年2月6日
Yes
Yes
Yes
Yes
小さな放浪者
6リール。1971年 の再公開のために音楽を作曲。
1921年9月25日
Yes
Yes
Yes
Yes
夫 / 小さな放浪者
2リール。1971年の再公開のために音楽を作曲。別邦題は『ゴルフ狂時代』。
1922年4月2日
Yes
Yes
Yes
Yes
労働者(小さな放浪者)
2リール。1972年 の再公開のために音楽を作曲[ 15] 。
1923年2月26日
Yes
Yes
Yes
Yes
脱獄囚(小さな放浪者)
4リール。『チャップリン・レヴュー』での再編集のために音楽を作曲。
ユナイテッド・アーティスツ時代(1923年 - 1952年)
1919年 、チャップリンはユナイテッド・アーティスツ の設立に参加し、1923年 以降は同社を通じて8本の映画を公開した。この時点からすべての作品は長編映画 である。
公開年月日
クレジット
備考
監督
脚本
製作
作曲
役名
1923年9月26日
Yes
Yes
Yes
Yes
ポーター(カメオ出演)
1976年 の再公開のために音楽を作曲。
1925年6月26日
Yes
Yes
Yes
Yes
孤独な鉱山師(小さな放浪者)
1942年 の再公開のために音楽を作曲。
1928年1月6日
Yes
Yes
Yes
Yes
小さな放浪者
1970年 の再公開のために音楽を作曲。第1回アカデミー賞 で名誉賞 を受賞[ 19] 。
1931年1月30日
Yes
Yes
Yes
Yes
小さな放浪者
1936年2月5日
Yes
Yes
Yes
Yes
労働者(小さな放浪者)
1940年10月15日
Yes
Yes
Yes
Yes
アデノイド・ヒンケル / 床屋
第13回アカデミー賞 で作品賞 、主演男優賞 、脚本賞 にノミネート[ 20] 。
1947年4月11日
Yes
Yes
Yes
Yes
アンリ・ヴェルドゥ
第20回アカデミー賞 で脚本賞にノミネート[ 21] 。
1952年10月16日
Yes
Yes
Yes
Yes
カルヴェロ
第45回アカデミー賞 で作曲賞 を受賞[ 22] 。
ヨーロッパ時代(1957年 - 1967年)
1940年代以降、チャップリンは共産主義 者であると公に非難され、1952年 に『ライムライト』のプレミアに出席するためにイギリスへ向かう途中で、アメリカへの再入国許可を取り消された。それ以後は亡くなるまでスイス に居住し、イギリスで2本の映画を作った。
公開年月日
クレジット
備考
監督
脚本
製作
作曲
役名
1957年9月12日
Yes
Yes
Yes
Yes
シャドフ王
製作会社はアッティカ・アーチウェイ。
1967年1月5日
伯爵夫人 A Countess from Hong Kong
Yes
Yes
No
Yes
年老いた接客係(カメオ出演)
製作会社はユニバーサル・ピクチャーズ 。
その他の映画作品
未完成及び未公開の作品
年
クレジット
備考
監督
脚本
製作
作曲
役名
1915年 - 1916年
Yes
Yes
Yes
No
エッサネイ社時代の未完成の作品。
1918年
映画の作り方 How to Make Movies
Yes
Yes
Yes
No
本人
チャップリン・スタジオの様子を描いたコメディタッチのドキュメンタリーで、未完成の作品。フィルムの一部は『チャップリン・レヴュー』で使用された。1982年 に映画史家のケヴィン・ブラウンロー とデイヴィッド・ギルが1本の映画にまとめ、ロンドン映画祭 で上映された[ 26] 。
「外部リンク 」"How to Make Movies"参照。
(無題の映画)
Yes
Yes
Yes
No
本人
ハリー・ローダー (英語版 ) とダブル主演の慈善映画として企画し、8分半の映像が撮影されたが、未完成のまま終わった。
1919年
Yes
Yes
Yes
No
ボスコ教授
2リールの作品を予定していたが、公開はされていない。
1922年
Yes
Yes
Yes
No
小さな放浪者
新婚旅行のためカリフォルニアにいたルイス・マウントバッテン 夫妻への贈り物として、即興で作られた短いスケッチで、公開はされていない[ 28] 。
「外部リンク 」"Nice and Friendly"参照。
1926年
No
No
Yes
No
監督はジョゼフ・フォン・スタンバーグ 、主演はエドナ・パーヴァイアンス 。作品は完成したが公開されず、1933年 6月にチャップリンはネガフィルム を焼却した。
1933年
No
No
No
No
本人
1933年のヨットクルーズにおけるチャップリンとポーレット・ゴダード を、アリスター・クック (英語版 ) が撮影したホームムービー[ 30] 。「外部リンク 」"All At Sea"参照。
1966年
No
Yes
No
No
チャップリンの娘ヴィクトリア (英語版 ) の主演で企画したが、製作には至っていない。
再編集された作品
エッサネイ社やミューチュアル社時代を中心とするチャップリン映画のいくつかは、後年にチャップリンに無許可で再編集されて1本の作品として公開された。1959年 にはチャップリン自身も、数本の作品を再編集した『チャップリン・レヴュー 』を発表している。
公開年
内容
1915年
Introducing Charlie Chaplin
監督はウォレス・A・カールソン。エッサネイ社のチャップリン映画のプロモーション用映画[ 32] 。
1916年
エッサネイ-チャップリン・レヴュー The Essanay-Chaplin Revue
エッサネイ社が『チャップリンの失恋』『チャップリンの役者』『アルコール夜通し転宅』をまとめて5リールに再編集した作品。
エッサネイ社が製作した第一次世界大戦 のプロパガンダ映画 。『チャップリンの独身』『チャップリンの駈落』『チャップリンの失恋』『アルコール先生海水浴の巻』のシーンが使用されている。2009年 に初めてフィルムが発見された[ 33] 。
1918年
チャップリンの出世一代記 Chase Me Charlie
ラングフォード・リードがエッサネイ社時代の作品を7リールにまとめて編集した作品。
1920年
『アルコール夜通し転宅』を1リールに再編集した作品で、そのアウトテイクと楽団を指揮するチャップリンの映像が挿入されている[ 34] 。
1959年
チャップリンが『犬の生活』『担へ銃』『偽牧師』『映画の作り方』を使って再編集し、自ら作曲した背景音楽を付けて公開した作品。
カメオ出演
チャップリンは以下の他監督の作品で、本人役としてカメオ出演 した。特記がない限りはロビンソンの『チャップリン』下巻を出典とする。
脚注
参考文献
外部リンク