チコ・マルクス
レナード・ジョセフ・"チコ"・マルクス(Leonard Joseph "Chico" Marx、1887年3月22日 - 1961年10月11日)は、アメリカのコメディアン、俳優、音楽家。「マルクス兄弟」の長男として、舞台・映画に出演した。 来歴
1887年3月22日にニューヨークのマンハッタンで、ユダヤ系移民の家庭に生まれる[1]。貧しい家庭のために幼い頃から働きつつ、母ミニーのもとで芸能の訓練を積んでいった。1910年代以降、ハーポ、グルーチョ、ガンモ、ゼッポの4人の弟と共にヴォードヴィルの舞台に立ち、アメリカ各地で公演を行った。「チコ」という芸名は、「チキン("女性"のスラング)を追いかけ回す奴」に由来している[2]。 ブロードウェイでの成功ののち、ハーポ、グルーチョ、ゼッポと共にパラマウントと契約、映画に出演する。ヴォードヴィル時代から、チコは自身のキャラクターとして、イタリア人的な特徴を取り入れ、イタリア訛りのステレオタイプ的な人格を演じていた。映画内でのチコのキャラクターは、学はないが魅力的な詐欺師であることが多く、基本的にハーポのキャラクターと相棒の関係を築いていた。衣装としては、古ぼけた服と、チロル帽で個性を出していた。 また、チコはピアニストとしての才能が卓越しており、幼い頃からピアニストとしての収入を得ていた。映画でもチコのピアノ演奏は定番となり、ほとんどの作品でチコの演奏シーンが用意されている。指を銃に見立てて鍵盤を「撃つ」ように演奏するなど、独特の指使いで知られている。 ヴォードヴィル時代から兄弟のマネージャーをしていた母ミニーの死後、チコは代わってグループのマネージメントを担当していた[1]。パラマウントとの契約満了後にMGMと契約することを可能にしたのは、敏腕プロデューサーのアーヴィング・タルバーグとチコの間につながりがあったことである。 また、チコは生涯、ギャンブルの悪癖を抱えていた。彼はギャンブル依存により常に多額の借金を抱えた状態にあり、1946年の映画『マルクス捕物帖』は、その借金返済に充てるために制作されたものだった。 1949年に映画界から退いたのちは、ビッグバンドを率いたり、ときおりテレビに出演したりしていた。1961年10月11日、ハリウッドの自宅で動脈硬化で死去した[1]。 主な出演作品
出典
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