チアゴ・ジョルジ・オノリオ
チアゴ・ジョルジ・オノリオ(Tiago Jorge Honório、1977年12月4日 - )は、ブラジル・サンパウロ州出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはフォワード。 Jリーグ時代の登録名はチアゴ[1]、Kリーグ時代の登録名はティアゴ(ハングル: 티아고)[2]。 経歴ウニオン・アグリーコラ・バルバレンセFCの下部組織出身。フットサル選手からサッカーに転向した後、トップチームで活躍。2000年に移籍したCリーグ・深圳平安(現・深圳市足球倶楽部)で、得点ランキング上位に入る活躍を見せる。 その実績を認められ、2004年にJリーグ・サンフレッチェ広島に移籍し主力として期待された[3]。しかし、度重なる怪我に悩まされ殆ど結果を残すことの出来ないまま[4] 1年で解雇された。 翌2005年、アトレチコ・パラナエンセに移籍すると、カンピオナート・パラナエンセ制覇に貢献。その後はブラジルと中国とで活躍、2008年には北京国安にレンタル移籍し、同年のACLに出場し得点を挙げた[5]。 2009年、再びブラジルに戻りADサンカエターノに在籍。同年に水原三星にレンタル移籍、同年の韓国FAカップ制覇に貢献した。2010年中国の深圳に戻り、同年7月に中国甲級(2部)・成都謝菲聯にレンタル移籍し、同シーズンでの超級(1部)昇格に貢献した。 広島在籍時のコーチである影山雅永の縁を頼って、2011年よりJリーグ・ファジアーノ岡山に移籍[5]。東日本大震災によるリーグ中断期間中の加入だったが、リーグ再開前の練習試合で怪我[6] をした為、怪我の状態を考慮し序盤は途中出場での起用となった。自身3試合目となる第10節栃木SC戦で移籍後初得点と試合終了間際に同点に追いつく得点の計2得点を挙げると、スタメンに定着し一時は得点ランキングトップに立つ活躍を見せた[7]。しかし、その後も広島時代同様度重なる怪我[8][9]の影響で出場機会が減った事もあり、8月6日の第3節ロアッソ熊本戦で挙げた得点がこの年最後の得点となった。 個人成績
脚注
関連項目外部リンク
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