タイロン・パワー・シニア
タイロン・パワー・シニア(Tyrone Power, Sr., 1869年5月2日 - 1931年12月23日)は、イギリス出身の俳優である[1]。本名フレデリック・タイロン・エドモンド・パワー(Frederick Tyrone Edmond Power)、舞台ではタイロン・パワー二世(Tyrone Power II)、映画では一貫してタイロン・パワー(Tyrone Power)と名乗った[1]。 人物・来歴1869年5月2日、イギリスのロンドンに生まれる。祖父はアイルランドの舞台俳優タイロン・パワーで、のちに舞台俳優としてしばしば「タイロン・パワー二世」と名乗ったのは、祖父へのリスペクトの表明である[1]。父はピアニストのハロルド・パワー、母は女優のエセル・ラヴェニューである[1]。 ダリッジ・カレッジに学んだ後、一家でアメリカへ移民する[1]。フレデリック・タイロンはフロリダに送られ、果実園で働くことになるが、農園を飛び出して俳優となる。1886年(明治19年)、初舞台を踏む[1]。1898年(明治31年)、イーディス・クレインと結婚する[1]。 1912年(明治45年)、妻イーディスと死別、同年、「ミセス・タイロン・パワー」の名で知られるヘレン・ベイトマンと再婚する[1]。1914年(大正3年)5月5日、第1子タイロン・エドモンド・パワー・ジュニア(のちのタイロン・パワー)が生まれる[1][2]。ニューヨークで活動していたパワーは、フェイマス・プレイヤーズ・フィルム・カンパニー製作、トーマス・ヘフロン監督の Aristocracy に出演、同作が映画初出演となり、同年11月26日に公開される[1]。 カリフォルニア州ロサンゼルス市に移住し、同地のセリグ・ポリスコープ・カンパニーで、1915年(大正4年)7月26日公開、ジャイルズ・ウォーレン監督の A Texas Steer に出演、以降、翌年までに合計4作に出演する[1]。同年8月25日には、第2子アン・パワーが生まれる[1][3]。1916年(大正5年)には、ヘレンと離婚する[1]。同年、ユニヴァーサル・フィルム・マニュファクチュアリング・カンパニー(現在のユニバーサル・ピクチャーズ)で、フィリップス・スモーリー、ロイス・ウェバー夫妻が共同監督した映画に3作主演、うち2作、 John Needham's Double, 『獄屋の月』はユニヴァーサルが同年に設立した子会社・ブルーバード映画の作品で、もう1作『暗中鬼』はロイス・ウェバー・プロダクションズの作品であった[1]。『暗中鬼』では1歳になる娘のアンがノンクレジットで出演している[1][4]。『獄屋の月』と『暗中鬼』は日本でも公開された[5]。1917年(大正6年)以降は、小プロダクション作品に主演している。 1921年(大正10年)2月、バーサ・ナイトと三度目の結婚をする[1]。1920年代にあっても、映画には主演・共演問わず出演し、ブロードウェイの舞台にも立った[1]。1930年(昭和5年)、フォックス・フィルム(現在の20世紀フォックス)で、パワーにとっての初のトーキー『ビッグ・トレイル』(ジョン・ウェインの初主演作でもある。)に出演する[1]。同作が遺作となる[1]。 1931年(昭和6年)12月23日、カリフォルニア州ロサンゼルス市で心筋梗塞により死去した[1]。満62歳没。「タイロン・パワー」の名跡は、長男のタイロン・エドモンド・パワー・ジュニアが継承した[1]。 フィルモグラフィすべて出演作である[1]。 1910年代
1920年代
1930年代関連事項
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