チャールズ・ジョセフ・ブレイビン(Charles Joseph Brabin、1882年4月17日 - 1957年11月3日)は、イギリス出身のアメリカ合衆国の映画監督、脚本家。
経歴
ブレイビンは、イングランドのリヴァプールに生まれ、地元のセント・フランシス・ザビア・カレッジ(英語版)に学んだ。1900年代はじめにニューヨークへ渡ったブレイビンは、雑多な職に就きながら、舞台俳優になろうと試みた。1908年頃には、エジソン・マニュファクチャリング・カンパニーに入社し、最初は俳優として演技し、次いで脚本や監督を務めるようになった。彼は、サイレント映画時代に活躍し、続くトーキーの時代にも短期間活動した。彼が手がけた最後の映画は、メトロ・ゴールドウィン・メイヤーで撮った1934年の映画『A Wicked Woman』であった[2]。
ブレイビンの最初の妻であった社交家スーザン・"スゼット"・ジェーン・モシャー (Susan "Susette" Jane Mosher) は、サイレント映画の女優であり、ニューヨークのエドウィン・ハワード・モシャー (Edwin Howard Mosher) とジェニー・スレイター・モシャー (Jenny Slater Mosher) の娘であった。ふたりは1913年12月14日にブロンクスのベッドフォード会衆派教会 (Bedford Congregational Church) で結婚式を挙げたが、これはブレイビンがイングランドとヨーロッパへの旅から戻った直後のことであった。そこではブレイビンの親友だった映画俳優マーク・マクダーモット (Marc MacDermott) が花婿介添人を務めた[3]。チャールズとスーザンの夫妻は7年間結婚していた。
後にブレイビンは、サイレント映画の「ヴァンプ」スターであったセダ・バラと1921年7月2日に結婚し、彼女が1955年4月7日に腹部の癌で死去するまで添い遂げた。
おもなフィルモグラフィ
以下は、ブレイビンによる映画の一部である[1]。
アーカイブ
ブレイビンの1925年の映画『ステラ・マリス (Stella Maris)』は、アウトテイクが存在しており、2016年にアカデミー・フィルム・アーカイブ(英語版)に保存された[4]。
脚注
- ^ a b c d Parish, James; Pitts, Michael R. (1974). “BRABIN, CHARLES J., b. April 17, 1883, Liverpool, Eng.; d. Nov. 3, 1957”. Film Directors: A Guide to their American Films. Metuchen, NJ: Scarecrow Press. pp. 42–43. ISBN 9780810807525. OCLC 573547659. https://archive.org/details/filmdirectorsgui00pari/page/42/mode/2up
- ^ Langman, Larry (2000). “Bragin, Charls J. (1883-1957), b. England, director”. Destination Hollywood: The Influence of Europeans on American Filmmaking. Jefferson, NC: McFarland. p. 128. ISBN 9780786406814. OCLC 1193398184. https://archive.org/details/destinationholly0000lang/page/128/mode/1up
- ^ “BRABIN—MOSHER”. The Moving Picture World (Moving Picture Exhibitors' Association) 18 (13): 1528. (December 27, 1913). OCLC 1717051. https://archive.org/details/movingpicturewor18newy/page/1528/mode/1up?view=theater.
- ^ “STELLA MARIS [ -- OUTS]”. Preserved Projects | Oscars.org | Academy of Motion Picture Arts and Sciences. 2021年4月20日閲覧。
外部リンク