ソビエト連邦の自治共和国自治ソビエト社会主義共和国(じちソビエトしゃかいしゅぎきょうわこく、ロシア語: автономная советская социалистическая республика、略称:АССР)は、ソビエト連邦(以下ソ連と略す)内で構成共和国の一部に位置し、少数民族を代表する小規模な自治共和国である。 概要ソ連の自治共和国は立場的にはソビエト連邦構成共和国よりも低いものとされており、自治州や自治管区よりは強い権限を持っていた。例えばロシア・ソビエト連邦社会主義共和国(ロシアSFSR)においては自治ソビエト社会主義共和国の政府議長はロシアSFSR政府の公式な一員であった。また、それぞれ主な構成国の自治共和国という立場にされていたが、連邦と個別の条約を結んでおり、実際には連邦の直轄地のような扱いで統治されていた。 1936年以降、全ての自治共和国は“自治ソビエト社会主義共和国”の名前がつくようになった。自治ソビエト社会主義共和国はロシア語ではАвтономная Советская Социалистическая Республика、英語ではAutonomous Soviet Socialist Republicであり、それぞれАССР、ASSRと略される。国旗は初期には独自の意匠の国旗を持つものもあったが、自治共和国が属している国の国旗に自治共和国の名を入れたものが国旗になっていることが非常に多い。国章も同様の傾向にある。 連邦構成共和国とは違い、自治共和国は連邦から脱退する権利を持っていなかった。一方で政治上、行政上、文化上の自治が認められ、時に変化した。初期の1920年頃のコリニザーツィヤ政策の時期には大きく自治権が与えられ、1930年代までに自治共和国の多くが設置されている。しかし大祖国戦争の期間中にはドイツの侵攻に伴い自治権の縮小が行われ、場合によっては対独協力の罪をきせられ自治共和国自体が廃止になる場合もあった。この時期に自治共和国が廃止になったあとは多くの場合中央アジアへ民族を移転させている。スターリン死後は再び自治権の強化や、自治共和国の再設置が行われ、ブレジネフ時代などの時期が自治権が最も重視された[1]。 1991年のソ連解体に伴ってロシア連邦内の自治共和国は全て共和国に格上げされた。また、自治州についても、残っていた5つの自治州のうちゴルノ・アルタイ自治州とカラチャイ・チェルケス自治州はASSRを経て共和国になった。一方、ウクライナ内のクリミアやグルジアのアブハジア、アジャリアは紛争の種になった。アブハジアは現在事実上独立している。 ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国1987年の時点では以下の16の自治共和国が存在していた。 それ以前には以下のような自治共和国が存在した。
またゴルノ・アルタイ自治州、アディゲ自治州、ハカス自治州、カラチャイ・チェルケス自治州は1991年にASSRに昇格し、それぞれ現在のアルタイ共和国、アディゲ共和国、ハカス共和国、カラチャイ・チェルケス共和国に昇格している。 ウクライナ・ソビエト社会主義共和国
アゼルバイジャン・ソビエト社会主義共和国
グルジア・ソビエト社会主義共和国
ウズベク・ソビエト社会主義共和国
脚注
関連項目
|
Portal di Ensiklopedia Dunia