セラノーバ
セラノーバ(Celanova)は、スペイン・ガリシア州オウレンセ県のムニシピオ(基礎自治体)。コマルカ・ダ・テーラ・デ・セラノーバに属する。ガリシア統計局によると2013年の人口は5,638人(2010年:5,949人、2009年:6,020人、2008年:6,075人、2007年:6,104人、2003年:6,071人) [1]。住民呼称は、celanovés/-esa。 ガリシア語話者の自治体人口に占める割合は96.12%(2001年)。 地理セラノーバはオウレンセ県の西部に位置し、コマルカ・ダ・テーラ・デ・セラノーバに属する。北はカルテージェとア・メルカと、東はア・ボーラと、南はベレーアと、西はラミラスとキンテーラ・デ・レイラードの各自治体と境界をなす。自治体中心地区はセラノーバ教区のセラノーバ地区[2]。 セラノーバは県都オウレンセとは、そのまま南へ行くとポルトガルのリンドーソに行きつく国道120号線(N-120)でつながっている。 自治体内にはアルノイア川とその多くの支流、オリージェ川、トゥーニョ川が流れている。 西部(トゥーニョ川地域)は高台になっており、東部の低地(アルノイア川、オリージェ川地域)に人口は集中している。 降水量は多くなく、また気温差は激しい。 セラノーバはセラノーバ司法管轄区に属し、同管轄区の中心自治体である[3]。 人口
歴史936年ロセンド・デ・セラノーバによって、のちにさまざまな特権を与えられることになるサン・サルバドール・デ・セラノーバ修道院(Mosteiro de San Salvador de Celanova)が設立された。11世紀にはその力は最大となり、その支配はアルタ・リミア、モンテレイ、オ・リベイロにまで及んだ。 イルマンディーニョの反乱によって、ミルマンダ城とビラノバ・ドス・インファンテス城は破壊された。15世紀になると、修道院は貴族の搾取によって衰退していったが、カトリック両王によってそれらは取り返された。1506年以降はバリャドリッドのベネディクト会のサン・ベニート・エル・レアル修道院との結びつきを深め、その独立性を失っていった。 セラノーバはスペインとポルトガルとの国境地域にあるため、両国の間で何度も争奪の的となった。19世紀自由な三年期に修道院は修道会の支配から離れ、1837年最終的に永代所有財産解放令によって没収された。 1927年ビラノバ・ドス・インファンテス地区を、1967年アセベード・ド・リオ地区を編入。 政治自治体首長はガリシア国民党(PPdeG)のアントーニオ・モウリージョ・ビジャール(Antonio Mourillo Villar)[6]、自治体評議員は、ガリシア国民党:7、ガリシア民族主義ブロック(BNG):3、ガリシア社会党(PSdeG-PSOE):3となっている(2011年5月22日の自治体選挙結果、得票順)[7]。
教区セラノーバは19の教区に分けられる。太字は自治体中心地区のある教区[2]。
出身著名人
脚注
外部リンク |