スティーブ・ピアース
スティーブン・ウェイン・ピアース(Steven Wayne Pearce, 1983年4月13日 - )は、アメリカ合衆国フロリダ州ポーク郡レイクランド出身の元プロ野球選手(一塁手、外野手)。右投右打。愛称はザ・トレイン(The Train)、ウエイン・トレイン(Wayne Train)[1]。 経歴プロ入り前2003年のMLBドラフト45巡目(全体1341位)でミネソタ・ツインズから指名を受けるが、契約には至らず。 2004年の全米大学選手権のオールトーナメント・チーム(一塁手)に選出され、MVPも受賞するなど注目を集める。同年6月7日に行われたMLBドラフト10巡目(全体305位)でボストン・レッドソックスから指名を受けるが、またしても契約には至らなかった。 2005年は前年以上の好成績を挙げ、全米大学2ndチームの一塁手に選出されるなど更なる成長を遂げる。 プロ入りとパイレーツ時代![]() (2009年5月19日) 2005年6月7日に行われたMLBドラフト8巡目(全体241位)で、ピッツバーグ・パイレーツから指名を受け、6月11日に三度目にして契約成立。この年からプロデビューし、傘下のA-級ウィリアムズポート・クロスカッターズで72試合・打率.301・出塁率.381・OPS.855をマーク。8月23日、ニューヨーク・ペン・リーグのオールスターに出場[2]。 2006年はA級ヒッコリー・クロウダッズとA+級リンチバーグ・ヒルキャッツにステップアップ。2球団合計で131試合に出場の上、26本塁打を放ち、98打点を挙げるなど着実にキャリアを積み重ねる。 2007年は、A+級リンチバーグ、AA級アルトゥーナ・カーブ、AAA級インディアナポリス・インディアンスの3球団合計で134試合・打率.333・31本塁打・113打点・出塁率.394・OPS 1.016・14盗塁と打棒爆発。7月8日にはオールスター・フューチャーズゲームに、11日にはイースタン・リーグのオールスターに出場した他、ベースボール・アメリカ誌のマイナーリーグ・オールスターにも選ばれ、MiLB.comのオフェンシブ・プレーヤー・オブ・ザ・イヤーとTopps(トップス)社のプレーヤー・オブ・ザ・イヤーをダブル受賞している[2]。同年9月1日、メジャー初昇格。即日ミルウォーキー・ブルワーズ戦において「6番・右翼手」としてスタメン起用され、自身の船出をマルチヒット(4打数2安打)で飾った。23試合の出場に留まったが、打率.294・出塁率.342と結果を残し、来季に望みを繋いだ。また、シーズン終了後チーム内の有望株リストで3位にランクされ、ベストヒッター・フォー・アベレージとベスト・パワーヒッター、並びにベスト・ストライクゾーン・ディシプリンの三部門に挙げられた[3]。 オフには第37回IBAFワールドカップのアメリカ合衆国代表に選出された[4]。 2008年3月10日、1年間の契約延長が成立。パイレーツには2011年まで在籍したが、毎年のようにメジャーとマイナーを往復していた。 ヤンキース傘下時代2011年12月15日にツインズとマイナー契約を結ぶ。2012年3月27日にFAとなった。3月29日にニューヨーク・ヤンキースとマイナー契約を結んだ[5]。 オリオールズ時代![]() (2012年6月10日) 2012年6月2日にボルチモア・オリオールズへ移籍[6]。7月21日にDFAとなった[7]。 アストロズ時代![]() 2012年7月28日にウェイバー公示を経てヒューストン・アストロズへ移籍した[8]。 ヤンキース時代![]() (2012年9月9日) 2012年8月27日にウェイバー公示を経て再びヤンキースへ移籍した[9]。9月25日にDFAとなった[7]。 オリオールズ復帰![]() (2015年4月13日) 2012年9月29日にウェイバー公示を経て再びオリオールズへ移籍した[10]。結局、同年はのべ3球団でプレーした。オフの11月30日にオリオールズと1年契約に合意したが、12月21日に40人枠を外れ、AAA級ノーフォーク・タイズへ降格した[7]。 2013年3月31日にオリオールズとメジャー契約を結んだ。この年は44試合に出場し、打率.261、4本塁打・13打点、1盗塁を記録した。オフの12月2日にオリオールズと1年契約に合意した。 2014年は開幕ロースター入りしたが、4月22日にDFAとなった[11]。4月27日に自由契約となったが、29日にオリオールズと再びメジャー契約を結んだ[12]。その後は、飛躍しキャリアハイの成績を収めた。また、9月途中からは薬物使用で出場停止となったクリス・デービスにかわって、正一塁手を務めた。レギュラーの座を手中に収めた後はバットが火を噴き、打率.293、21本塁打、49打点、OPS0.930という好成績をマークした。また打撃のみならず、守備でも高い力を発揮。一塁を守った51試合で、リーグの一塁手では最多となるDRS +9[13]、左翼手でも35試合でDRS +7という好成績をマークした。 2015年は内外野のユーティリティとして起用され、92試合に出場。打率が.210台まで大きく落ち込んだものの、2シーズン連続で15本塁打以上 (15本ちょうど) を放ち、長打力は健在だった。ディフェンス面では左翼を41試合、一塁を28試合、二塁手を21試合、右翼手を8試合守ったが、右翼以外の3ポジションでDRSはマイナスに終わり、打撃と同様に不振だった。オフの11月2日にFAとなった[14]。 レイズ時代2016年1月28日にタンパベイ・レイズと1年契約を結んだ[15]。レイズでは主に一塁手、二塁手のレギュラー格で60試合に出場。打率.309、10本塁打、29打点、OPS0.908と、主砲級の活躍ぶりを見せていた。一塁の守備でも30試合で3失策、守備率.987、DRS +2、二塁の守備でも14試合で1失策・守備率.983・DRS0と安定していた。 2度目のオリオールズ復帰2016年8月1日にジョナ・ハイムとのトレードで、オリオールズへ移籍した[7]。9月12日のボストン・レッドソックス戦で送球中に右腕の違和感を訴え[16]、右腕屈筋群の張りのため18日に60日間の故障者リストに入りシーズンを終えることになった[7][17]。11月3日にFAとなった[7]。なお、オリオールズでは25試合に出場していたが、打率.217、3本塁打、6打点と調子が上がらなかった。通年では、85試合に出場して打率.288、13本塁打、35打点、OPS0.867という成績であり、2シーズン前の打棒を取り戻した恰好となった。 ブルージェイズ時代![]() (2017年9月1日) 2016年12月5日にトロント・ブルージェイズと2年総額1250万ドルの契約を結んだ[18]。 2017年6月21日のテキサス・レンジャーズ戦でフェンスに激突し、負傷退場した[19]。7月30日のロサンゼルス・エンゼルス戦でシーズン2本目のサヨナラ満塁本塁打を記録したが、これはブルージェイズの球団史でも40年間で初の快挙だった[20]。9月9日のデトロイト・タイガース戦では1回に背中の張りで途中退場した[21]。 レッドソックス時代2018年6月28日にサンティアゴ・エスピナルとのトレードで、レッドソックスへ移籍した[22]。翌29日にはアクティブ・ロースター入りし、同日のヤンキース戦にて「4番・一塁手」で先発出場して2安打を放った。また、この試合の出場により、ケリー・ジョンソン以来となるアメリカンリーグ東地区の球団すべてに在籍及び公式戦に出場した史上2人目の選手となった[23]。8月2日にフェンウェイ・パークでのヤンキース戦で3本塁打を放ち、チームも15-7で勝利した[24]。また、レッドソックス対ヤンキース戦で3本塁打を放ったのは6人目となる[25]。この試合の後、2018年シーズンのレッドソックスの最高のトレードと呼ばれた[24]。レッドソックスのみでの成績は、50試合で打率.279、7本塁打、26打点だった[26]。 ポストシーズンでは、2018年のアメリカンリーグディビジョンシリーズ第2戦で正一塁手のミッチ・モアランドが怪我で欠場したため、その後の試合はすべて正一塁手として出場することになる。10月16日、ミニッツメイド・パークで行われた2018年のアメリカンリーグチャンピオンシップシリーズ第3戦で、6回にジョー・スミスから勝ち越しとなる本塁打を打ち、チームも8-2で勝利した[27]。ロサンゼルス・ドジャースとのワールドシリーズでは第4戦の8回の最初にドジャースの抑えのケンリー・ジャンセンから同点となるソロ本塁打を打つ。9回には走者一掃となる二塁打を放ち、チームも9-6で勝利した。第5戦では、初回からクレイトン・カーショーから2点本塁打を打つと、8回にはペドロ・バエズからソロ本塁打を打った。その後試合はレッドソックスの勝利となり、ワールドシリーズ優勝を果たした。ピアース自身は初めてのチャンピオンリングを手にすることになった。3試合あまりで1967年のワールドシリーズのカール・ヤストレムスキー以来となるワールドシリーズでの3本塁打はレッドソックスは初めてだった。ワールドシリーズでマルチ本塁打を35歳で達成したのはベーブ・ルース、テッド・クルズースキーに続く快挙である[28]。その後、2018年のワールドシリーズ最優秀選手賞を受賞した[29][30]。11月16日に単年625万ドルの契約を結んだ[31]。 プレースタイルコンタクト・パワー・選球眼を併せ持ち、長打を広角に打ち分ける。パイレーツ時代は当初専ら一塁手を務めていたが、メジャーにはアダム・ラローシュが存在したチーム事情もあって、昇格してからは外野も守るようになった。守備力は平凡以下だが、将来的には打点製造マシンとして期待を受けている[34][35][36]。 詳細情報年度別打撃成績
年度別守備成績
表彰
記録背番号
代表歴
脚注
関連項目外部リンク
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