ジョーイ・ヴェラ
ジョーイ・ヴェラ(Joey Vera、1963年4月24日 - )は、アメリカ合衆国出身のロックミュージシャン、ベーシスト。ヘヴィメタルの分野で活動し、アーマード・セイントの創設メンバーの一人としてデビューを果たした後、フェイツ・ウォーニング、モーター・シスター等のバンドでも活動している。 来歴当初はギーザー・バトラー、ジョン・エントウィッスル、ジョン・ポール・ジョーンズといったハードロック系のベーシストから影響を受け、その後はファンクやフュージョンにも傾倒した[1]。とりわけ、ロサンゼルスでジャコ・パストリアスの『ワード・オブ・マウス』・ツアーを観た時には「俺の音楽観が変わってしまった」「それまでは、俺は比較的シンプルなベース・プレイヤーだったけど、ジャコに出会ってからは、俺のスタイルも全く変わった」という[1]。 1982年にアーマード・セイントを結成し、1983年にメタル・ブレイド・レコーズからセルフタイトルのEPを発表した後、クリサリス・レコードとの契約を得て1984年に『マーチ・オブ・ザ・セイント』でメジャー・デビューした[2]。なお、1986年にメタリカのクリフ・バートンが事故死した後、ヴェラは後任ベーシストの候補に挙がり、オーディションを兼ねたジャム・セッションに誘われたが、最終的にはアーマード・セイントに留まる決断をし、メタリカからの誘いを断った[3]。また、アーマード・セイント在籍時には、リジー・ボーデンのEP『テラー・ライジング』(1987年)、アルバム『マスター・オブ・ディスガイズ』(1989年)にもセッション参加した[4]。 アーマード・セイントが一度解散した後、1994年に初のソロ・アルバム『サウザンド・フェイセス』を発表。ヴェラは同作で、ベースだけでなくボーカル、ギター、キーボードも兼任し[5]、その後のソロ・ツアーではベースを持たず、シンガー兼ギタリストとしてステージに立った[6]。そして、その後ベーシストとして参加したジャズ・バンドのギタリストから音楽理論を学ぶようになった[6]。 1990年代後半には、プログレッシブ・メタル・バンドのフェイツ・ウォーニングに一時的なメンバーとして加入するが、最終的には正式ベーシストとなり、『プレザント・シェイド・オブ・グレイ』(1997年)以降、多数のアルバムに参加した[7]。同アルバムには元ドリーム・シアターのキーボーディスト、ケヴィン・ムーアも参加しており、ヴェラはムーアが新たに立ち上げたプロジェクト「クロマ・キー」のデビュー作『デッド・エアー・フォー・レディオス』でもベースを弾いた[8]。また、フェイツ・ウォーニングでのボーカリストであるレイ・アドラーのサイド・プロジェクト、Engineにも参加した[9]。その後はフェイツ・ウォーニングの活動と並行して、再結成アーマード・セイントにも参加している[6]。更にフェイツ・ウォーニング関連では、ジム・マテオスが参加しているプロジェクトOSIや、マテオスとジョン・アーチによるプロジェクト「Arch/Matheos」のアルバムでも演奏した。 ヴェラは更に、セヴン・ウィッチズのアルバム『Xiled To Infinity And One』(2002年)の制作に裏方として貢献した後、同バンドの次作『Passage to the Other Side』(2003年)にはベーシストとしても全面参加した[10]。2004年から2005年には、フランク・ベロの代役としてアンスラックスのツアー・ベーシストを務めた[6]。 2015年には、スコット・イアンを中心に結成したモーター・シスター(Mother Superiorのトリビュート・バンド)としてのデビュー・アルバム『ライド』がリリースされた[11]。2019年12月、マーシフル・フェイトが2020年夏に計画している再結成ツアーに、ティミ・ハンセンの代役として参加することが報じられた[12]。 ディスコグラフィソロ・プロジェクト
アーマード・セイント→「アーマード・セイント § ディスコグラフィ」を参照
リジー・ボーデン
フェイツ・ウォーニング
Tribe after Tribe
クロマ・キー
Engine
セヴン・ウィッチズ
OSI
ベースインヴェイダーズ
Arch/Matheos
モーター・シスター
出典
外部リンク |