ジェイ・ブルース
ジェイ・アレン・ブルース(Jay Allen Bruce, 1987年4月3日 - )は、アメリカ合衆国テキサス州ボーモント出身の元プロ野球選手(外野手、一塁手)。左投左打。愛称はブルーース(Bruuuce)[1]。 経歴プロ入りとレッズ時代2005年の2005年のMLBドラフト1巡目(全体12位)でシンシナティ・レッズから指名され、プロ入り。同年、ルーキー級2球団で54試合に出場。 2006年はA級デイトン・ドラゴンズで117試合に出場し、ミッドウェストリーグのオールスターに選出され、最優秀選手に選出された[2]。 2007年はA+級サラソタ・レッズで開幕を迎え、AAA級ルイビル・バッツまで昇格を果たし、フューチャーズゲームにも選出され[3]、シーズン終了後にはベースボール・アメリカ・マイナーリーグ年間最優秀選手賞など多くのメディアからマイナーリーグ最優秀選手に選出された[4]。 2008年はメジャーのスプリングトレーニングに参加したが[4]。年俸調停資格には3年が必要だが、"スーパー2"と呼ばれる一部選手には2年で発生する場合があり、ブルースがスーパー2に該当しないように開幕をAAA級ルイビルで迎えることになった[5]。4月は打率.316を記録[4]、5月に入ると調子を上げ、昇格直前までに打率.364を記録し、5月27日のピッツバーグ・パイレーツ戦でメジャーデビューを果たした。デビューからの11試合で打率.463、OPS1.325を記録[6]。「あいつはアウトになることがあるのか?」とアトランタ・ブレーブスのボビー・コックス監督を驚かせた[5]。6月25日以降打率は3割を下回るも[6]、アダム・ダンやケン・グリフィー・ジュニアの移籍に伴い、打線の中軸を任されるようになった[7]。昇格以降3試合に欠場しただけで、108試合に出場し、新人選手としてリーグ3位の21本塁打を記録した[8]。新人王の投票ではリーグ5位だった[9]。 2009年7月11日のニューヨーク・メッツ戦でダイビングキャッチを試みた際に右手首を骨折し[10]、約3ヶ月間欠場した。右手首の怪我の影響で101試合の出場に留まり、打率.223、22本塁打、58打点だった。 2010年は初めて規定打席に到達した。9月29日のヒューストン・アストロズ戦でティム・バーダックから史上5人目となる地区優勝(地区制導入前のリーグ優勝含む)決定サヨナラ本塁打を記録した[11]。打撃面では打率.281、25本塁打、70打点、5盗塁といずれの部門でも自己最高の数字を記録した。一方、守備面ではゴールドグラブ賞の候補にも名が挙がった[12]。オフの12月に6年総額5100万ドルで契約を延長した(7年目は1250万ドルの球団オプション)[13]。 ![]() 2011年は打率.256、32本塁打、97打点だった。打率は.256まで低下したが、本塁打は自身初の30本超えとなった。 2012年6月15日のニューヨーク・メッツ戦で左翼手のジェイソン・ベイの方向への打球でベイが捕球し損ねて動けなくなり、その間に幸運なランニング本塁打を記録した[14]。この年は打率.252、34本塁打、99打点と本塁打が2年連続で30本を超えた。MVPの投票では10位だった[15]。 2013年、自己最多の160試合に出場。30本塁打(リーグ3位)で3年連続の30本塁打以上を記録したほか、自身初の100打点(109打点、リーグ2位)を記録した。その他の打撃部門では得点、安打、二塁打などの部門で自己最高ないし最高タイの数字を記録した。一方、これまでは160すら超えなかった三振だが、リーグ最多三振のパイレーツのペドロ・アルバレスに1差の185三振だった。MVPの投票では2年連続で10位だった[16]。 2014年5月4日のミルウォーキー・ブルワーズ戦で半月板損傷を負い、手術を受けた[17]。この年は正右翼手として137試合に出場して5年連続で規定打席に到達したが、打撃不振に陥り、打率.217、18本塁打に留まった。 2015年8月10日のサンディエゴ・パドレス戦でイアン・ケネディから球団史上9人目となる通算200本塁打を達成した[18]。この年は2年ぶりに157試合に出場し、打率.226、35二塁打、26本塁打を記録。通算200二塁打と200本塁打を達成した。 2016年はオールスターゲームに選出された。シーズン途中までに97試合に出場し、打率.265、25本塁打、80打点という成績を残していた。移籍直前の7月27日まで5試合連続本塁打を記録し、レッズの当時の球団記録に並んだ(後にジョーイ・ボットが7試合に更新)[19]。 メッツ時代![]() 2016年8月1日にディルソン・ヘレーラ、マックス・ウテルとのトレードで、ニューヨーク・メッツへ移籍した[20]。メッツ加入後は打撃不振になり、50試合で打率.219、8本塁打、19打点に留まった。それでもレッズ時代の好調が利いて、合計では147試合で打率.250、33本塁打、99打点を記録し、いずれも3シーズンぶりに30本塁打と90打点を記録した。サンフランシスコ・ジャイアンツとのワイルドカードゲームでは無安打で敗退し、シーズンを終えた。オフの11月に契約オプションが行使されてメッツに残留した[21]。 インディアンス時代2017年8月9日にライダー・ライアンとのトレードで、クリーブランド・インディアンスへ移籍した[22]。ニューヨーク・ヤンキースとのディビジョンシリーズでは5試合で5安打・2本塁打・4打点などを記録したが、敗退し、シーズンを終えた。オフの11月2日にフリーエージェント(FA)となった[23]。 メッツ復帰2018年1月16日に3年総額3900万ドルの契約でメッツに復帰した[24]。94試合の出場で打率.223、9本塁打、37打点を記録した。 マリナーズ時代2018年12月1日にエドウィン・ディアス、ロビンソン・カノ、及び金銭2000万ドルとのトレードで、アンソニー・スウォーザック、ヘルソン・バウティスタ、ジャレッド・ケルニック、ジャスティン・ダンと共にシアトル・マリナーズへ移籍した[25]。 2019年5月31日のロサンゼルス・エンゼルス戦でタイラー・スカッグスから史上148人目となる通算300本塁打を達成した[26]。マリナーズでは47試合に出場したが、打率.212、14本塁打、28打点に留まった。 フィリーズ時代2019年6月2日にジェイク・シャイナーと金銭とのトレードで、フィラデルフィア・フィリーズへ移籍した。残り約2130万ドルの契約のうち1850万ドルをマリナーズが負担することとなった[27]。2球団合計で98試合の出場で打率.216、26本塁打、59打点だった。 2020年はCOVID-19の影響で全60試合に短縮された中で、32試合の出場で打率.198、6本塁打、14打点に留まった。オフの11月1日にFAとなった[28]。 ヤンキース時代2021年2月13日にニューヨーク・ヤンキースとマイナー契約を結んだ[29]。 3月27日にメジャー契約を結んでアクティブ・ロースター入りした[30]。 4月3日の自身の誕生日で行われたブルージェイズ戦でヤンキース移籍後初本塁打を記録し、チームのシーズン初勝利に貢献した[31]。しかし、出場10試合で打率.118と不振で、シーズン途中の4月18日に現役引退を表明した[32]。引退に際しては野球というスポーツ自体に対して、そしてこれまでに所属した各球団への感謝を丁寧に述べた[33]。 詳細情報年度別打撃成績
年度別守備成績
表彰
記録
背番号
脚注出典
関連項目外部リンク
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