サルペードーンサルペードーン(古希: Σαρπήδων, Sarpēdōn)は、ギリシア神話の人物で、小アジアのリュキア地方の王である。長母音を省略してサルペドンとも表記される。 ポイニーケー王アゲーノールの娘エウローペーとゼウスの子で、ミーノース、ラダマンテュスと兄弟[1][2][3][4][5][6]。ホメーロスの叙事詩『イーリアス』では、ベレロポーンの娘ラーオダメイアとゼウスの子[7]。クレーテーのディクテュスはラーオダメイアとクサントスの子としている[8]。トロイア戦争ではグラウコスとともにリュキア勢を率いてトロイアを救援し、ギリシア軍と戦った[9][10][11][12]。 神話ミーノースとの対立サルペードーンは他の兄弟とともにクレーテー島の王アステリオスに育てられたが、成長すると美少年ミーレートス(あるいはアテュムニオス)をめぐって兄弟のミーノースと争った。しかしミーノースはミーレートスがサルペードーンを慕っていたため、戦争を起してサルペードーンをクレーテー島から追い払った。サルペードーンは多くの者を率いて小アジアのキリキアに赴いた。そのころキリキアの王キリクスはリュキア人と戦っており、サルペードーンはリュキアの一部を分けてもらうという条件でキリクスの味方をして戦った。その後、約束通りキリクスから土地をもらってリュキアの王となった彼にゼウスは人間の3世代分の寿命を与えた。またミーレートスも小アジアに赴き、都市ミーレートスを建設した[13]。 その後、サルペードーンのもとにパンディーオーンの子リュコスが亡命し、それまでテルミライ呼ばれていた人々はリュコスにちなんでリュキア人と呼ばれるようになったという[14]。 トロイア戦争トロイア戦争が起こるとサルペードーンはトロイアの味方をして戦った。ギリシア軍はサルペードーンに協力を得ようとしたが、それより先にプリアモスは莫大な報酬によってサルペードーンを味方にしたともいわれる[15]。 『イーリアス』初日、サルペードーンはロドス島の武将トレーポレモスと戦い、左太腿に深手を負いながらもトレーポレモスを倒した。トロイア軍がギリシア軍の防壁を攻撃したさいには同盟軍を指揮し、グラウコスとアステロパイオスを副将とした。サルペードーンはアテーナイの武将メネステウスが守備する場所に攻撃を仕掛け、脅威を感じたメネステウスは大アイアースに助けを求めた。大アイアースはテウクロスとともにメネステウスを助け、テウクロスの矢がグラウコスを傷つけて後退させたが、サルペードーンは防壁の一部を崩して突破口を作った。しかし大アイアースとテウクロスの攻撃を受けたため防壁から離れ、リュキア軍を突撃させたが防壁内に侵入することができず、ヘクトールが突破口を作って味方を突入させた。ヘクトールが大アイアースに気絶させられたときは他の武将たちとともにヘクトールを守って戦ったが、ゼウスはサルペードーンの死を予言した。 パトロクロスがアキレウスの鎧をまとって戦ったとき、サルペードーンは兵士を踏みとどまらせ、自らはパトロクロスと戦った。このときゼウスは自分の子サルペードーンの運命を知っていたので悲しくなり、助けたいと思ったがヘーラーに説得されて考え直し、我が子を思って天から血の雨を降らした。サルペードーンはパトロクロスに2本の槍を連続して投げた。槍はどちらも外れたが、最初の槍はアキレウスの戦車を引く馬のうち唯一不死でなかったペダソスを殺した。しかしサルペードーンはパトロクロスの槍に刺されて地に倒れ、死の間際もがきながらグラウコスに助けを求めた。グラウコスはトロイア軍の武将たちにサルペードーンの遺体を守って戦うことを訴え、両軍は激しく戦った。ゼウスはアポローンにサルペードーンの遺体を運び出して洗い清め、アムブロシアーを塗り、ヒュプノスとタナトスに遺体をリュキアに運ばせるよう命じた[16]。 その後サルペードーンは壮麗な葬送の行進によって墓に運ばれ、葬られた。サルペードーンの遺体はまるで眠っているかのようだったという[17]。 異説シケリアのディオドーロスによると、ゼウスとエウローペーの子で、クレーテー島からリュキア地方に移住したサルペードーンと、トロイア戦争で戦ったサルペードーンは別の人物である。前者のサルペードーンの子にエウアンドロスがおり、ベレロポーンの娘デーイダメイアと結婚して、父と同名の息子サルペードーンをもうけた。彼はトロイア戦争ではトロイア側ではなく、ギリシア側の味方をして戦ったという[18]。 系図
その他のサルペードーン脚注
参考文献
関連項目 |
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