コーリー・スパンジェンバーグ
コーリー・ジョセフ・スパンジェンバーグ(Cory Joseph Spangenberg, 1991年3月16日 - )は、アメリカ合衆国ペンシルベニア州ラッカワナ郡クラークス・サミット出身のプロ野球選手(外野手 、内野手)。右投左打。現在は、フリーエージェント(FA)。愛称はスパンジー(Spangy)[1]。 経歴プロ入りとパドレス時代2011年のMLBドラフト1巡目(全体10位)でサンディエゴ・パドレスから指名され、プロ入り[2]。 2012年は傘下のA+級レイクエルシノア・ストームでプレーした。 2013年はAA級サンアントニオ・ミッションズでプレーした。 2014年もAA級サンアントニオでプレーしていた。7月にテキサスリーグの月間最優秀選手に選出された[3]。9月1日にメジャーに昇格し、同日のアリゾナ・ダイヤモンドバックス戦にて「8番・三塁手」で先発出場してメジャーデビューした[4]。翌2日の同カードでは9回に代打で登場し、ブラッド・ジーグラーからサヨナラとなるメジャー初本塁打を放った[5]。20試合に出場し、打率.290、2本塁打、9打点、出塁率.313を記録した。 2015年は開幕をメジャーで迎えた。6月にジェド・ジョーコの不調のより二塁手として出場することが増えたが、6月27日のダイヤモンドバックス戦で相手選手のスライディングで左膝を負傷し、8月中旬まで故障者リスト入りした[6]。108試合に出場し、打率.271、4本塁打、21打点、出塁率.333を記録した。 2016年は大腿四頭筋を損傷したため、わずか14試合の出場に終わった。打率.229、1本塁打、8打点、出塁率.302を記録した。 2017年のスプリングトレーニングで三塁手にコンバートされた。開幕後はAAA級エル・パソ・チワワズに配属されたが、4月25日にメジャー昇格。ヤンガビース・ソラーテが三塁から遊撃にコンバートされたこともあり、オールスター以降は正三塁手として定着した。自己最多となる129試合に出場し、打率.264、13本塁打、46打点、出塁率.322を記録した。また、このシーズンは左翼手として32試合に出場した。 2018年は開幕をメジャーで迎えたが、成績を維持できず、メジャーとマイナーを行き来した。前年からは成績を落としたものの116試合に出場し、打率.235、7本塁打、25打点、出塁率.298を記録した。しかし11月20日にDFAとなり[7]、21日にFAとなった[8]。 ブルワーズ時代2019年1月4日にミルウォーキー・ブルワーズと120万ドルの単年契約を結んだ[9]。開幕は傘下のAAA級サンアントニオ・ミッションズ[10]で迎えた。5月14日にDFAとなり[11]、16日に再びAAA級ミッションズ所属となった。マイナーでは113試合に出場し、打率.309、14本塁打、62打点、出塁率.378を記録した。8月24日にメジャー契約を結んでアクティブ・ロースター入りした[12]。以降はユーティリティープレイヤーとして32試合に出場し、打率.232、2本塁打、10打点、出塁率.277を記録した。11月1日にAAA級ミッションズ配属となった。 西武時代2019年12月6日に埼玉西武ライオンズと契約した[13]。推定年俸8000万円で背番号は「22」[14]。登録名は姓の「スパンジェンバーグ」をそのまま使用し、9文字で日本プロ野球史上最長となった[15]。 2020年は開幕前の練習試合で結果を残し、開幕戦に「1番・左翼手」として先発出場した。6月23日の福岡ソフトバンクホークス戦の2回裏にマット・ムーアから来日初本塁打となる満塁本塁打を記録した[16]。最終的に111試合に出場し、本塁打は山川穂高に次ぎチーム2位、リーグでも9位タイの15本、三塁打はリーグトップの8本、二塁打もリーグ3位の26本を放つなどし、打率.268、OPSはチームトップでリーグ9位の.807、打点も山川、栗山巧に次ぐチーム3位の57打点を挙げた。一方、三振が2位浅村栄斗(楽天)より39も多い両リーグトップの150、四死球も36で、出塁率は.326にとどまった。2021年1月13日に現状維持の推定年俸8000万円で残留することが発表された[17]。 2021年は外野手から内野手登録に変更された[18]。COVID-19流行の影響による入国制限で来日が4月2日となり、同16日に隔離期間が終了[19]。二軍調整を経て、予定通り4月23日に一軍合流。同日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦に7番三塁で先発出場し、途中からは来日初となる二塁の守備にも就いた[20]。しかし、初の二塁での先発出場となった4月25日の楽天戦では1失策。さらに2度目の二塁での先発出場となった5月9日のソフトバンク戦では記録に残らないミスを連発し、試合途中で三塁を守っていた呉念庭と守備位置を入れ替えられた[21]。前年よりも三振が減り四球は増えアプローチには改善が見られたが前半戦は打率.230と低調であり、五輪の中断期間で一時帰国し無事に再来日したものの[22]後半戦の開幕は二軍スタートとなった。8月31日に一軍再昇格を果たすと2試合連続本塁打を放つなど[23]打撃の調子が上がっていたが、入団時から悪かったという左膝の状態が悪化し9月15日からベンチを外れる試合が続き[24]、同19日に登録抹消となった[25]。9月22日に左膝治療のためアメリカに帰国[26]。11月12日に退団が発表された[27]。 カージナルス時代2022年3月25日に、セントルイス・カージナルスとマイナー契約を結び、AAA級のメンフィス・レッドバーズに配属された。7月25日にCOVID-19ワクチン未接種者の入国が許可されていないカナダのトロントで行われるブルージェイズとのアウェイゲームにおいて、ワクチン未接種の選手の代替としてアクティブ・ロースター入りした[28]。トロント遠征が終わると再びAAA級メンフィスへ配属された。その後はメジャー再昇格の機会はなく、シーズン終了後の11月10日にFAとなった[29]。 2023年はいずれの球団でもプレーしなかった。 選手としての特徴内外野守れるユーティリティープレイヤーであり、メジャー6年間で二塁はUZR+0.5、DRS+6、三塁はUZR-2.8、DRS±0、遊撃はUZR+0.1、DRS±0、左翼はUZR-3.4、DRS-2、中堅はUZR-0.1、DRS±0、右翼はUZR-0.6、DRS-1の守備指標を記録した[30]。西武での1年目は外野手登録であり、左翼手で72試合、右翼手で2試合に先発出場する中で、三塁手としても36試合に先発出場。外野手として先発した試合でも試合途中で三塁を守るケースが17試合あり、チーム事情に応じた起用がされていた[18]。 詳細情報年度別打撃成績
年度別投手成績
年度別守備成績
記録NPB
背番号
登場曲
脚注
関連項目外部リンク
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