コメット巡航戦車
コメット巡航戦車(コメットじゅんこうせんしゃ、Cruiser Tank Comet (A34))は、第二次世界大戦後期に登場したイギリスの巡航戦車(35トン級)である。 概要北アフリカ戦線でドイツのティーガーI重戦車に遭遇し、またIV号戦車の火力も強化されて苦戦したイギリス軍は、従来の巡航戦車やアメリカからレンドリースされていたM4シャーマン戦車の力不足を痛感していた。巡航戦車の火力増強型としては、クロムウェル巡航戦車に17ポンド砲を搭載した巡航戦車 チャレンジャー(A30)が開発されていたが、開発が大幅に遅れた上、車体サイズと重量のバランスが悪く、シャーマンに同じ砲を搭載したファイアフライに比べて少数の使用に止まった。 一方、17ポンド砲を開発したヴィッカース・アームストロング社は、これを短縮し50口径長にして、3インチ高射砲用の短い薬莢と17ポンド砲用の弾頭を合わせた砲弾を用いるHV(High Velocity)75 mm 砲を1943年に試作していた。これは75mm砲と命名されながらも実際の口径は76.2 mm で、同口径でも使用砲弾の異なる他の砲があるため、補給上の混乱を防ぐためであったが、最終的には77 mm HV(高初速砲)と呼ばれることとなった。短砲身化した為、徹甲弾の貫通能力は低下したものの、榴弾の精度は17ポンド砲よりも向上した。また搭載する砲にアメリカのM10やM18などに搭載されているM5 3インチ(76.2mm)砲の改良型である76.2mm M1A1戦車砲も検討されたが期待外れだったためそのまま77mm砲が採用された。
この砲の開発の成功により、A27セントーおよびクロムウェル巡航戦車を生産中のレイランド社が、クロムウェルをベースとし、77 mm HV砲を搭載した発展型を開発することとなった。こうしてイギリス軍は、ようやく火力・装甲・機動力のバランスがとれた国産戦車を手に入れることができたのである。 本車の生産はクロムウェルの生産に係わったメーカー(レイランド社、イングリッシュ・エレクトリック社、ジョン・ファウラー社、メトロポリタン・キャメル貨客車製造社)によって戦後も続けられ、最終的に1186輌が完成した。 構成コメットの構造は基本的にはクロムウェルMk.IVのF型車体の拡大発展型で、鋳造製の主砲防盾を除き圧延防弾鋼の溶接によって構成されている。足回りはクロムウェルと同じクリスティー式サスペンションではあるが、重量増に合わせて強化され、上部支持用の小型転輪も追加されている。 主砲の威力は17ポンド砲よりは劣るものの、1000 m 先の圧延防弾鋼に対し、APCBC弾で110 mm、APDSで165 mm を撃ち抜くという高い性能を示し、17ポンド砲よりも弾道が低伸し、命中率も向上したという。77 mm 砲は電動旋回式の砲塔に搭載され、7.92 mm ベサ重機関銃が同軸装備された。 エンジンは600馬力のロールスロイス・ミーティアMk.III 12気筒ガソリンエンジンを搭載している。 運用1944年9月から量産型が軍に引き渡され、翌年初めに第11機甲師団隷下の第29機甲旅団で部隊が編成された。しかし訓練中にバルジの戦いが勃発し、旅団は以前の装備であるM4シャーマンで再編成されて前線に送られ、戦闘任務を解かれた翌年1月に、再び転換訓練のためコメットで編成された。 コメットの最初の実戦投入は終戦も間近い1945年3月、ライン渡河作戦以降であったため、ドイツ戦車と遭遇する機会は少なく、その本領を発揮することはなかったが、運用部隊での評価は高かった。 1945年4月13日には、第3戦車連隊のコメットがドイツ国防軍グルッペ・フェールマンのティーガーIと交戦し、F01号車を撃破した記録が残されている。 第二次世界大戦後の運用第二次世界大戦後、生産されたコメットの大半は砲塔側面に煙幕弾発射器を追加し、エンジン排気孔を車体上面後端から車体リアパネルに移設したMk.IB(B型)に改造されたが、さらなる重装甲とより大火力の20ポンド戦車砲を装備したセンチュリオンMk.3ほどの高評価を得ることはなかった。コメットは鉄道輸送のためにイギリス製戦車に課せられた車幅制限に適合するように設計されていたため、センチュリオンに搭載されている20ポンド戦車砲やL7 105mm戦車砲のような新型主砲への換装が不可能であったためである。 第一線装備から外されたコメットは、予備役部隊である国防義勇軍の装備となり、主に訓練に用いられた。また香港に駐留する英軍部隊は、橋梁の耐荷重制限の関係でセンチュリオンではなくコメットの運用を継続した。1958年にはイギリス陸軍から退役し、アイルランドやフィンランド、南アフリカ共和国、ミャンマー、キューバ、ソマリアに売却された。 南アフリカ国防軍は1950年代にセンチュリオンと共に26両のコメットを導入し、1970年代までこれらを運用した。この後、センチュリオンを大幅改修しオリファントを開発する一方、コメットの一部は支援車両(コメットAMV)に改造され運用された。 フィンランド国防軍はコメットとチャリオティア駆逐戦車を導入し、1970年代頃まで運用した。フィンランドでは、コメットに20ポンド砲を搭載する改修が試験的に行われた。 アイルランド国防軍は予算の関係で8両のみを購入したが、予備部品や砲弾の減少により1970年代に予備装備となった。 キューバ軍は、1959年のキューバ革命以前のバティスタ政権時代にコメットを導入した。革命後、イギリスからカストロ政権への予備部品や砲弾供給が中止されたため、コメットはソ連製のT-34/85やT-54/T-55などによって更新された。 ミャンマーでは2007年まで現役装備として使用されており、2021年の軍事パレードでもコメットが使用された。 型式・派生型
派生型
この他、第二次大戦後にイギリス軍内で余剰化したコメットを指揮戦車や砲兵観測車に改造した例がある。これらの中には、ダミーのQF 95mm榴弾砲を装着した指揮車両も存在した[4]。
登場作品
脚注
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