クロイドン区
クロイドン・ロンドン自治区(クロイドン・ロンドンじちく、英: London Borough of Croydon)は、イングランドのロンドン南部にある行政区。ロンドン盆地南部の丘陵地帯、グレーター・ロンドン(大ロンドン)の最南端に位置し[2]、アウター・ロンドンを形成する。面積は約87 km2 (33.6 sq mi)、人口は約38万人でロンドン自治区の中ではバーネット区に次いで多い。 中心市街地は、区名の由来にもなった歴史ある町クロイドン。クロイドン (Croydon) の名はドゥームズデイ・ブックにて言及されており、町は小さなマーケットタウンからロンドン近郊で最も人口の密集する地域に発展した。今では、ロンドンの主要なビジネス、金融、文化の中心地である。 概説1965年、1963年ロンドン政府法の規定に基づいてクロイドンと近隣の町村が合併し、大ロンドンに編入されて現在のクロイドン区となった[3]。クロイドンをビジネスの中心地に発展させ、その経済力を支えた主な要因として、ロンドン郊外に位置するクロイドン空港(1920年に開港)の存在があった。しかし、成長していく首都ロンドンへ運航する全ての国際線がロンドン市内外の空港(ロンドン西部のヒースロー空港や同南郊のガトウィック空港など)から発着するようになると、クロイドン空港は空港の拡張に必要な用地が不足したため、1959年9月30日に閉鎖され、ロンドンの空の玄関口としての役目を終えた。空港は現在、第2級指定建造物に指定され、観光地となっている[4][5]。 クロイドン区は、その前身のカウンティ・バラ時代を含めると、1954年、2000年、2002年、2012年の計4回、「シティ」の地位を得るための申請を行っているが、いずれも成功していない。それでもなお、ビジネス客や観光客にとって魅力的な町、そして「ロンドンの3番目のシティ[注 1]」となるべく、現在クロイドン・ビジョン2020と題した大規模な都市再興プロジェクトが進行中である[6]。 区内はロンドン郊外の都市的な住宅街を成すが、区域の南方にかけては田舎の田園風景もみられる。2003年には、フェアトレード財団から、ロンドン自治区として初めて「フェアトレード区」に認定された[7][8]。 またクロイドンは、ロンドンと南東イングランドにおける文化・芸術の発信地の一つでもある。 インターネットラジオ局 Croydon Radio が地元の人々により運営されている[11]。加えて、テレビ局 Croydon TV の本拠地でもある[12]。プレミアリーグのクリスタル・パレスFCは1924年以来、サウス・ノーウッドにある競技場セルハースト・パークを拠点に活動している(末期のウィンブルドンFCも一時本拠地にしていた)。 その他に、大司教の別荘にもなったことのある18世紀建造のアディントン宮殿や[13]、1850年代に建てられた、大ロンドンに現存する数少ない大型風車の一つであるシャーリー・ウインドミルがある。また、アデル、エイミー・ワインハウス、レオナ・ルイスなど数々の音楽家・芸術家を輩出した、BRITトラストが運営する芸術専門学校ブリット・スクールがある[14]。 地理西南部はサットン区、西北部はウィンブルドン地区があるマートン区、北部はランベス区、北東部はクリスタル・パレス地区を介してランベス区、サザーク区、ブロムリー区、東部はブロムリー区、南部はサリー州と接する。 主な地区
交通2000年より、トラムリンクと呼ばれるLRTが運行されている。 教育アデル、エイミー・ワインハウス、レオナ・ルイス、ケイト・ナッシュ、ケイティ・メルア、ジェシー・J など数々の音楽家・芸術家を輩出した、BRITトラストが運営する芸術専門学校ブリット・スクール(BRIT School)が国内外で知られている。 出来事2014年に「クロイドンの猫殺し事件」が当地から発生し、最終的にイングランド内でおよそ400匹の猫などの小動物が犠牲になった。 関係者出身者→詳細は「Category:クロイドン区出身の人物」を参照
居住その他ゆかりある人物
脚注・出典脚注
出典
外部リンク |
Portal di Ensiklopedia Dunia